情報館の回想と裏話など(2)
ちょこっとサイエンスの苦労話
これは一種のサイエンスショーで、来館者が多いときは黒山の人だかりができたりしたが、来館者が少なかったり、演出がまずかったり、テーマが難しかったりすると、数人しかいなかっったりすることもしばしばだった。数人しかいないのに、一人減り、二人減り、となると正直焦ったが、説明資料も準備したネタも決まっているので、どうにもしようがなかった。大勢いれば、それなりに反応も違う。参加しているという意識も共有している部分があるのだろう。多くのイベントのような熱狂は、参加者が自ら盛り上がって、作り出すものではないだろうか。当然、演出はそれを狙っている。全く別物だが、ちょこっとサイエンスも同じ要素があると感じた。講師の役目は、実験教室や工作教室では先生だが、ちょこっとサイエンスでは、エンタテイナーに近い。話術も必要だし、臨機応変のスキルも必要になる。最初は緊張したが、回を重ねるうちに、慣れたというか、勘所を押さえる術も身に着いた。後は、面白そうにテーマを嚙み砕くことだった。
サイエンスと言っている以上、テーマは限られている。また、道具が要るので、おのずと展示物の中から適当なものを選ぶことになる。多く登場したのは、真空装置、真空落下装置、ヴァン・デ・グラーフ装置、ジャイロ椅子、などであった。真空落下装置は、空気中と真空中で物体の落下速度が変わるという、いわゆるガリレオの落下実験を検証する装置である。ヴァン・デ・グラーフ装置は、小型の起電機で、高電圧を発生する。絶縁台の上に載ってもらって、静電気で髪の毛が立つ演示が行われた。この二つは必ずスタッフが操作する。一方、ジャイロ椅子は、誰でも遊べる展示物で、重い回転体を手にもって回転椅子に座り、回転体を傾けると椅子が回転を始めるという趣向。ちょこっとサイエンスでは、ジャイロ効果の演示に使っていた。地球コマとか、自転車が倒れないことの原理が、ジャイロ効果である。回転体は傾けると、その逆方向に力が働く。つまり、動きに逆らうような働きといえる。真空装置では、わずかな水をビーカーに入れて真空に引くと、あっと言う間に、凍るという演示をやっていた。気圧が下がると、凝固点が上昇するので、室温でも水が氷るという現象だが、子供たちには手品のように見えたらしい。
お母さんが興味を持ちそうなテーマは
ちょこっとサイエンスのテーマは、基本的には誰でも興味を持ちそうなものを選ぶのが普通である。子供にでも分かるようにはするが、実際は、親が理解して子供に伝えることが多い。つまり、実際のターゲットは親子連れの親の方になる。とすると、親といっても圧倒的に母親の方が多い。科学に関心のある方たちと思うが、さて、サービス精神を発揮して、お母さんたちに喜ばれるようなテーマはないか、などと考えるようになった。新しいテーマができれば、レパートリーが広がる。実は、偶然、その機会が訪れた。真空をテーマとしたちょこっとサイエンスで、終わった後に、あるお母さんから質問があった。それは、真空では漬物が早く漬かるのは何故かというものだった。さすがに、その事実を知らないし、事実としても原理が思いつかなかった。答えれらず、調べておきます、というのがやっとだった。浅漬けなどは食塩だけの添加なので、食塩水の浸透圧で細胞内の水が抜けていることで漬かる。真空の場合も同様の現象が起こる可能性はあり、実際、商品化もされていることは後で分かった。だだ、真空といっても人力で引くくらいではたかが知れている。どこまで、本当か分からないが、実際に漬物が早く漬かるならそれは真空というよりは減圧の効果かもしれないと思った。調べてみると、漬物を漬ける目的と原理は、食塩や酢、砂糖などの浸透圧で有害な細菌の細胞膜を破壊して食品の保存に効果があるとともに、野菜などの細胞膜も脱水に依って自己消化を起こして壊れるためと分かった。
クッキングサイエンス
そうだ、料理や調理をテーマにしたちょこっとサイエンスがよさそうだ、と思い付いて館内の図書を調べたが、料理本はあっても、料理や調理をサイエンスとして取り上げた本はなかった。書店に行くと、あった。まさに、クッキングサイエンスをテーマにイギリスの大学教授が書いた趣味的な本が。この教授は、本業ではなくて、まさに趣味で料理や調理をサイエンスしている。例えば、肉が焼けるときのメィラド反応とか、卵の茹でる時間とか、参考になるものばかりだった。ただ、洋食ばかりなので、少し日本風の話題をと思って、ご飯とお餅、ジャガイモが茹るまで、などを加えたちょこっとサイエンスを企画した。ちょっと、子供には興味が湧かないかもしれないが、学校で習うようなヨウ素でんぷん反応とか、浸透圧の実験を加えた。
以下に、クッキングサイエンスをテーマにした、ちょこっとサイエンスの配布資料と、企画書を追記する。何かの参考になれば幸いである。
「クッキング・サイエンス」
白いご飯とおもち、どこが違う? 温泉たまごのつくり方は?
知っているようで知らない(かも?)クッキングを科学します。
【ジャガイモで熱伝導の実験】
なぜ食べ物を加熱するか?
- 穀類やイモなど:そのままでは消化できないβデンプンをαデンプンに変える。(60℃以上で糊化)
- 肉類などのタンパク質:そのままでも食べられるが、噛み切りやすくする。(40℃以上で変性) 肉類の香りはメイラード反応による。(140~180℃)
- 野菜:硬くて食べられない繊維(細胞壁、主成分はセルロース)をやわらかくする。
そのほか、食中毒を防ぎ、保存しやすくするなど。
加熱の効果は、中心温度で決まる。同じ調理方法であれば食材の大きさ(寸法)が2倍になると、中心温度の上がりやすさ(=時間)は、ほぼ4倍になる。
【“温泉たまご”でタンパク質の変性を実験】
たまごを沸騰したお湯に入れると、外側から温度が上がっていくので、まず卵白が固まり、温度が上がると卵黄が固まる。ゆでる時間が長くなると、“半熟”から“固ゆで”になる。
脂質の多い卵黄は約65℃から、卵白は約70℃から硬くなるので、65~70℃に温度を保てば、外側の卵白が“半熟”で中の卵黄もトロッとした“温泉たまご”ができる。
望みのゆでたまごができる時間
たまごの直径d(mm)、初期温度To(℃)のときのゆで時間t(分)は、
t=0.0015d2loge{2(Tw-To)/(Tw-T)}
ただし、Twは湯の温度(℃)、Tはたまごの中心(=黄身の)温度(℃)。
肉類もタンパク質(と脂質)を含むので温度を上げると硬くなるが、スジ肉や皮はコラーゲンを多く含むため、70℃以上で長時間水煮すると、コラーゲンが分解してやわらかくなる。(ゼラチン化)
【ご飯とおもちを、ヨウ素液で実験】
もちの米は「もち米」だが、白いご飯の米は「うるち米」と言う。米の主成分はデンプンで、デンプンにはアミロースとアミロペクチンという構造の違う2種類の成分がある。アミロペクチンは、ねばりが多くでる成分で、アミロペクチンの多い米は、炊くとよくねばり、噛みごたえがある。
うるち米は、アミロペクチンが80~85%、アミロースが15~20%位。もち米は、ほとんどアミロペクチンでできている。インディカ米は、細長い形をして、ねばりが少ない。アミロペクチンは70%位しかふくんでないので、パサパサとしたご飯になる。インディカ米に対し、日本の米のように粘りの多い種類をジャポニカ米という。
ヨウ素デンプン反応
デンプンは、ヨウ素液やヨードチンキを加えると、青紫色になる。アミロースを含むデンプンは濃い青紫色にそまり、アミロペクチンのデンプンはうすい赤紫色にそまる。
【食塩水で浸透圧の実験】
なぜ食品の保存に塩や砂糖や酢やアルコールを使うのか?
高い浸透圧によって細菌を脱水し、繁殖できないようにするため。生物は細胞でできており、細胞は細胞膜で覆われている。細菌にも細胞膜があり、細胞膜は水だけを通す半透膜なので、内部よりも高濃度の溶液に接すると、内部の水は溶液側に移動する。脱水が進むと、細胞膜は自己消化を起こして壊れる。
漬物(塩漬け、酢漬け)、砂糖漬け、果実酒なども、この作用を利用する。
浸透圧に関するファント・ホッフの式 Πv=nRT
ただし、Πは浸透圧(Pa)、vは溶液の体積(m3)、nは溶質のモル数、Tは温度(K)、Rは気体定数(=8.3143J/mol・K)
≪参考文献≫
『お米のひみつーたのしい料理と実験ー』(小竹千香子著 さ・え・ら書房 1992年)
『料理のわざを科学する キッチンは実験室』(P.Barham著 丸善 2003年)
【実験の進め方】
《実験機材》
- 簡易真空装置(一方向弁つき注射器と密閉容器)
- 真空保温ポット 2個
- 電気ポット
- 先細デジタル温度計
- 温度計(-20~100℃)
- 味噌濾し器
- 試験管 2本
- シャーレ
- ビーカー(100ml)
- 包丁
- まな板
- ジャガイモ(中1個)
- タマゴ(中1個)
- 白玉粉(少量)
- 上新粉(少量)
- うがい薬(ポピドン・ヨード水溶液)
- 大根(1cm輪切り)
- 食塩(10g)
- インスタントコーヒー(少量)
《実験準備》
- 真空保温ポットに水または湯を入れて通電し、1個は60℃、もう1個は68℃に保温する。
- 電気ポットに水または湯を入れて通電し、沸騰(100℃)を保つ。
- ジャガイモを皮のまま、洗っておく。
- タマゴの上下に小孔を開け、卵白を試験管に吹き出す。
- 卵白が出きったら、タマゴを割って、卵黄を別の試験管に入れる。
- シャーレに、白玉粉と上新粉を少量ずつ別々に盛って小山を2つ作る。
- 大根を4等分(イチョウ切り)する。
- 5%食塩水を作り、インスタントコーヒー少量をよく溶かしておく。
《実験手順》
- ジャガイモに先細デジタル温度計を中心まで挿し、そのジャガイモを味噌濾し器に入れて、沸騰している電気ポットに入れて、5分間待つ。
- その間に、卵白入り試験管と卵黄入り試験管を、同時に60℃に保った真空保温ポットに入れて、放置する。
- 5分経過後、ジャガイモの中心温度を測って60℃に到達していないことを確認し、ジャガイモを取り出して包丁で半割する。断面を観察し、湖化によって周囲が環状に(熱伝導で温度が湖化温度以上になったうえ、湖化に必要な時間が経過して)透明化していることを確認して、説明する。
- 卵白入り試験管と卵黄入り試験管を同時に取り出して、両方とも固化していないことを確認し、68℃に保った真空保温ポットに入れて、再度、放置する。
- シャーレに盛った白玉粉と上新粉にヨード液を注いで、白玉粉は赤紫色に、上新粉は青紫色に染まることを確認して、説明する。
- 卵白入り試験管と卵黄入り試験管を同時に取り出して、卵黄が半熟化し、卵白が固化していないことを確認した後、沸騰している電気ポットに入れて、再々度、放置する。
- 簡易真空装置の密閉容器に68℃の熱湯を少量入れて、真空に引き、沸騰する(約1/4気圧に相当する)ことを確認する。
- インスタントコーヒーで着色した5%食塩水を2分し、半量は簡易真空装置の密閉容器に、半量はビーカーに入れた後、それぞれに大根を1片ずつ入れる。
- 大根1片を入れた簡易真空装置を真空に引き、3分間、放置する。
- 卵白入り試験管と卵黄入り試験管を同時に取り出し、両方とも固化していることを確認して、説明する。
- 3分経過後、簡易真空装置とビーカーからそれぞれ大根1片を取り出し、包丁でそれぞれ縦に2分して断面を観察し、着色が真空中の方で進んでいる(真空中では食塩水の浸透が加速される)ことを確認して、説明する。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
電気で動くヘリコプターⅡ
ココログを見ての問い合わせが未だにあるので、当時のテキスト(一部改め)を紹介する。
1.パーツリスト[単位:mm]
- 胴体1:15×5×50(桧角材)[上端より6mm中心にφ6貫通孔、下端より18mmに間隔8mmでφ1.5貫通孔×2、下端より5mmと10mmの背面中央にφ1.5下孔]
- 胴体2:φ6×25(桧丸棒)[前端より9mm中心にφ3貫通孔]
- 胴体3:φ6×210(ストロー)[後端20mmまで上下に切り込み]
- 回転翼:単翼(20×170、1mm厚紙貼スチレン)×2+ヒンジ15×50(0.5厚スチレンシート)[強力両面テープで貼り付け]
- 尾翼:100×95(1.5mm厚スチレンペーパー)
- ギヤ+軸:平ギヤ(60枚、φ1.9軸、モジュール0.5)、ピニオンギヤ(10枚)、φ2×50(軟鉄丸棒)、平ギヤ(24枚)
- 軸止:φ2ワッシャー+ポリエチレン・チューブ
- 軸受:φ3×0.5厚×20(黄銅管)
- 脚:φ0.9×450(ピアノ線)+φ3×0.5厚×10(アルミ管)×2(加工済み)、φ2×5(木ネジ)×2
- モーター:田宮模型製トルクチューンモーター
- 電気二重層キャパシター:昭栄製PAS 2.3V10F
- スイッチ:単投3P
- リード線:φ0.5×30(単線)
2.工具その他
- カッター
- 定規
- はさみ
- ハンダごて
- ハンダ
- ドライバー
- 強力両面テープ
- セロテープ
- 電池ボックス(単一乾電池×2)+ミノ虫クリップ付きコード
3.工作の手順
- 15×5×50桧角材の上端から6mmの中央部にドリルでφ6の貫通孔をあける。下端から18mmに、間隔8mmでφ1.5の貫通孔2個をあける。背面中央部に下端から5mmと10mmに、φ1.5の下孔をあける。
- 6×25桧丸棒の前端より9mmにドリルでφ3の貫通孔をあける。
- φ3×0.5厚×20黄銅管の軸受を金ノコで切り出し、ヤスリで端面の面取りをした後、φ2ドリル歯を入れて回して切断部のバリを落とし、φ2×50軟鉄丸棒の軸がスムーズに回ることを確認する。
- ピアノ線をペンチで曲げ、直径10cmの円形と大円の中央部に高さ10mm、幅2mmのヘアピンをつくり、大円の両端をアルミ管で圧着して脚とする。
- 平ギヤ(24枚)の中央部の突起を紙やすりで削って落とし、回転翼の受台とする。
- 1mm厚紙貼スチレン材から20×170矩形2枚をカッターで切り出す。はさみで整形した後、手で上に凸の丸みをつけて単翼2枚をつくる。ヒンジは、0.5厚スチレンシートから15×50矩形をカッターで切り出し、中央にドリルでφ2の貫通孔をあける。+片面のヒンジの両端から1cmの位置と、その裏面の中央から7.5mm(両端からはそれぞれ17.5mm)の位置にマークしておく。ヒンジの両端部1cmに単翼のそれぞれの前縁がヒンジと一直線になるように強力両面テープで貼り付ける。ヒンジ裏面の中央部に強力両面テープを貼り、孔の位置にカッターで×印の切り込みを入れる。
- 1.5厚スチレンペーパー材から100×95矩形をカッターで切り出し、はさみで整形して尾翼とする。φ6×210胴体3の後端部に、はさみで約20mmの切り込みを入れ、尾翼の前端部を挿入して胴体3の後端部の両側をそれぞれ尾翼に押し付けながらセロテープで固定する。
- 軸に上方から25mmの位置まで平ギヤ(60枚)を下向きに挿入する。その後、平ギヤ(24枚)を軸の上部に上向きに6mm押し込む。
- 胴体2のφ3貫通孔に軸受を通し、上方に10mm突き出た位置で軸受が真上を向くようにした後、軸を上から軸受に通し、下方に出た軸にφ2ワッシャーとポリエチレン・チューブの軸止を挿入する。その状態で、軸がスムーズに回ることを確認する。
- 胴体2の短い側の端を胴体1のφ6貫通孔に通して仮組みする。
- モーターの軸にピニオンを通し、平ギヤ(60枚)と位置合わせをした後、強力両面テープで胴体1の上部に貼り付ける。
- 胴体1のモーターの下にスイッチを下向きに接着剤で貼り付ける。背面からマイナスのマークを右側にして電気二重層キャパシターの足を貫通孔に通し、スイッチの両端の端子にそれぞれハンダ付けする。モーターの左端子とスイッチの左、モーターの右端子とスイッチの中央をハンダとリード線で配線する。
- 電気二重層キャパシターを短時間充電し、スイッチを入れて平ギヤ(60枚)が(時計回りに)スムーズに回ることを確認する。
- 脚の中央を胴体1下部のφ1.5下孔2個に木ネジで固定する。
- 胴体3を、尾翼が正立するように胴体2の丸棒に差し込む。
- その状態で、バランスを確認する。前部が重過ぎる場合は、25mm程度の長さのハンダを胴体3に巻きつけ、前後させてバランスを調整する。
- 回転翼のヒンジの中央部を軸に挿入して強力両面テープで平ギヤ(24枚)に貼り付ける。
- 電気二重層キャパシターを短時間充電し、回転翼がスムーズに、また、2枚が上下にズレないで回るように、翼のねじれ(水平から4~5mm)を調整する。(回転翼端部が中心より40mm以上高くなるようにする。)
4.飛ばし方
- 電気二重層キャパシターを30秒間充電し、目の高さでスイッチを入れて手を離すとヘリコプターが上昇を始める。または、1分間充電して、机上から離陸させることもできる。
- ヘリコプターが着陸(または落下)したら、スイッチを切る。
5.注意事項
6.ヘリコプターの飛行の原理と調整方法
(1)飛行の原理
ヘリコプターの回転翼も飛行機の翼も、凧が上がるのと同じ原理で機体を上昇させます。
ヘリコプターの回転翼と飛行機の翼の違いは、ヘリコプターでは翼の根元と翼端で気流の速度が違うことです。ヘリコプターの回転翼は飛行機のプロペラと似ています。
(2)安定性と調整法
ヘリコプターの安定性に必要なのは、まず、揚力の中心と重力の中心が一致していることです。前後左右でいえば、機体の重心は、回転翼の軸の位置に合わせる必要があります。次に必要なのは、機体が傾いたときの復元力です。ヘリコプターの機体が傾いたときの復元力は、機体の重心が揚力の作用点よりも下にあることで生ずる力と、回転翼のコーニングによる力があります。
コーニングとは、回転翼が回転したときに、翼の根元よりも翼端で気流の速度が大きくなるために、翼端の方が高くなることをいいます。コーンとは円錐形のことです。このコーンが傾くと、単翼に作用する揚力は左右で同じですが、揚力の垂直方向の成分はコーンの傾きで異なってきます。下になる単翼に働く揚力の垂直方向の成分がより大きくなることから、コーンの傾きを戻す力が生じます。そのためには、ヒンジの適度な弾力性が重要です。
情報館の回想と裏話など
未来科学技術情報館との縁
すでに閉館した科学館なので、もう時効だろう。在籍したのは、2005年4月から2007年12月まで。閉館で終わった。12月は中途半端だが、開館が1995年12月だったので、ちょうど12年間続いたことになる。在籍は、たった、2年9か月だったが、楽しい思いをさせてもらった。ある意味で、その後にもつながった、一種のキャリア形成だった。
身分は技術相談員。それまでも代々続いたポストで、ある会社が退職者の再就職先として継続的に送り込んでいたが、特別の事情があって入ることができた。実際の再就職先は科学館の運営を科学技術庁から委託されていた財団で、月20時間の契約社員として雇用された。その当時の財団理事長は、大学で教わった教授だった。これも何かの縁かもしれない。財団とは長い付き合いがあり、情報館とも仕事で付き合いがあって、前から再就職先として名乗りを上げていたのが配慮されたのかもしれない。
ちなみに、未来科学技術情報館は科学技術庁の委託事業として始まり、当初は未来館と称していた。アドレスも、miraikan.gr.jp だった。その後、2001年に、お台場に日本科学未来館が開館したことで、当館は情報館と略称を変えたが、アドレスはそのまま残り、二代目未来館の方のアドレスは、miraikan.jst.go.jp となっている。文部科学省となって、2館運用の理由がなくなったことと、事業継続10年を経過したことから予算が打ち切られ、閉館となった。
情報館という呼称は、国における首都圏に向けた情報発信の場としての位置づけがあったからで、実際、書棚の半分は、原子力発電所の許認可資料が占めており、それを目当てに通う人も珍しくはなかった。科学館の体裁をとったのはやはり集客が目的だろう。新宿駅から歩いて5分という立地も集客には好都合だった。図書室には椅子や机があって、休憩にも利用されていた。親子連れや、学校帰りの小学生、暇つぶしに寄る会社員などは近場の人たちだろうが、遠くからは、九州から北海道までの修学旅行生が班活動で訪れた。狙いは別にあったのかも知れないが、新宿に寄るには好都合だったのだろう。元より、狭い館なので、バスで来るような場所ではないが、少人数のグループの訪問はしばしばあった。その中には、障碍者のグループや特別支援学級の生徒たちが含まれる。幼稚園もあったように記憶している。
図書室には、来館者向けの図鑑やら、実験・工作の本やら、料理の本まであって、夏休みなどは宿題のテーマ探しに親子で賑わっていた。理科や科学の一般書もあって、大人でも訪れる人は多かった。小中学生にはちょうど良いレベルの本が揃っていて、その後にあちこちの科学館の図書室を覗いてみたが、蔵書の数はともかく、これだけ対象を絞った図書を持っていたのは、情報館だけだった。この図書は、閉館後は一括してある科学館に移されたと聞いている。下の図の正面奥が図書室で、図書室は日曜日にはイベントスペースになった。
情報館も体験型の科学館で、大型の展示物はどこの科学館にもあるようなものが多かったが、とりわけ人気があったのは、人が入れる大型のシャボン玉を作る装置で、同型の装置ではとくに大きかったらしく、有名だったらしい。そのほかにも、100mの伝送路を持つボイスターンや、体を押し付けて人型を作るピンレリーフ、たつまき発生装置などがあった。科学館らしく、真空実験装置や、真空落下装置、ヴァン・デ・グラフ起電機、トムソンリングなどもあった。放射線分野では、大型霧箱、小型X線透視装置、βちゃん、プラズマボールなど、原子力関連では、原子力発電シミュレーションゲームなどがあった。大型の展示物も入れ替わりがあるので、年によって違うものを体験された方も多いと思う。
技術相談員の仕事は
主に、毎日曜日の午後に開催される実験教室・工作教室の企画と準備と当日の講師役。これは館員が順番で担当した。実験教室・工作教室は参加無料で、製作した工作は持って帰れた。次は、15分ほどのちょこっとサイエンスという、一種のサイエンスショーで、これも、企画と準備と講師役。一回15分だが、一日に二回あった。これはなかなか難しくて、とくに子供は面白くないと容赦なく離れて行ってしまう。つなぎとめるにはどうしたらよいかを真剣に考えざるを得なかった。目の前で通信簿をもらっているような気分。結局、できるだけ参加してもらうこと、つまり話しかけて答えてもらったり、手伝ってもらったりすることを心がけること。一つの話題は3分以内にすること。話し中心ではなく、見たり動いたりすることを多く取り入れること。などを心掛けた。
実験教室・工作教室もありきたりのテーマでは飽きられてしまう。何しろ無料なので、応募が凄まじい。抽選になるが、何度も落選する親子がいた。他方、リピーターも多いく、レベルも高い子がいる。予算の都合で軽いテーマが多いが、人気の出そうな凝ったテーマを提案して実行させてもらうことが多かった。ヒットテーマの一つが、電動ヘリコプター。電気で動く工作を中心に提案したが、電動飛行機なら作るのは楽だが、館内が狭いので飛ばす場所がない。そこで、何とかヘリコプターをと思ったが、道のりは険しかった。当然、試作、試験して、子供、といっても中学生か親子同伴の小学生が参加資格だったので、小学生でも作れないといけない。作ったけど飛ばないでも困る。結局、開発に3か月もかかった。この電動ヘリコプターは2回実施していて、2回目の方が成功率は高かった。今なら小型の電動ヘリコプターがおもちゃとして売っているが、まだ、当時は超小型モーターが高価で、模型モーターを使わざるをえなかった。重くなるのが当然で、電池駆動にすれば確実だが、軽くするためと、発送電分野では蓄電の重要性を語るために電気二重層キャパシターを使用した。別途、電池で充電する必要はあるが、何しろ電池より軽い。また、適当な時間で電圧が下がり、ヘリコプターが飛び続けないのも好都合だった。
電動ヘリコプターは、ココログの「科学館員の独り言」に掲載したので、今でも残っていて、たまに作ってみたいので資料をくださいという依頼が舞い込む。入手しやすい部品で構成しているので、それが魅力かもしれない。先日も問い合わせがあり、資料を送ったところ、うまく行きましたというお父さんからのメールがあった。
大型の展示物は順番待ちの状況なので、分散を目的として小型の展示物を多く用意していた。市販品もあるが手作りも多い。人気があったのは、ハノイの塔と空中コマ。これは適当に難しく、子供よりは大人が夢中になっていた。空中コマはなかなか回せなかったが、コツをつかむと成功率が上がった。ただし、指導するのはもっと難しく、体感のようなものを人に伝えるのは難しいと感じた。展示物の自作も手掛けたが、これは仕事というより趣味に近かった。作品には、周期表ダーツがある。これは、磁石のダーツだが、外側から、水素、ヘリウム、リチウム、などとなって、中心がウランになっている。ウランに当たると、周囲に2個または3個のLEDが仕込んであって、それが光ることになっていた。これは何かを理解した人は少ないかもしれないが、実はウランの核分裂をテーマにした手作り展示物だった。LEDはもちろん、発生した中性子の数に合わせてあって、2個または3個がランダムに選択されるようになっていた。多くの人はただのダーツと思っていたかもしれないが、核分裂の説明の切っ掛けにはなった。
最初は、説明要員からは外れていたが、予算の縮小でスタッフが減ると、輪番で説明要員となった。PR館ではないので、押しつけがましい説明はしないが、それとなく寄って行っては解説を加えると、会話が弾んだ。科学館なので、それなりの科学知識は必要になる。幸い、原子力工学科を卒業しているので幅広い知識は得ていた。どこで、何をするかが分からないうえで、持っていた知識は大いに役に立った。ときどき、挑戦的な難問をふっかけてくる人が来館する。あるいは、訳の分からないことを言い出す人もいる。なかなか、対応は難しいが、ほどほどの対応でお帰り願った。一種の客商売なので、怒らせるわけにもいかない。いい勉強になった。
今となっては、どれもいい思い出になっている。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(5)
今回は放射線教育の新しい動きに関連する話しです。表題とは離れた話しが続きますが、最後は表題に戻りますので、ご一読ください。
新学習指導要領に沿った動き
これまでは、中学二年の理科で、原子力エネルギー利用に関連して「放射線にも触れること」とされてきたのが、学校における放射線教育の根拠となっていた。新学習指導要領では、それに加えて、クルックス管などの真空放電の観察に関連して「X線についても触れる」として、他の放射線の存在や利用について触れることになった。クルックス管では、陰極線すなわち電子ビームが管壁に当たって緑色に輝くのを観察する。覚えている方も多いと思う。クルックス管はレントゲンがX線を発見する切っ掛けとなった装置と同様の装置で、電子の加速に1万ボルト以上の高電圧をかける。インダクションコイルの放電電極が、ばりばりと音を立てて放電するのを覚えているだろうか。放電中のクルックス管は、微弱ながらX線を出す人工の放射線源ともいえる。人工放射線については、X線のほかにも、電子線や重イオン線があり、レントゲン検査や空港での手荷物検査などのなじみのある利用のほかにも医療や産業に広く利用されている。放射線照射を利用していることを表示する必要はないので、意外と身近な製品が工場などで電子線照射を受けていたりするが、放射線は一過性で残留することはなく問題はない。
そこで、クルックス管の観察はこれまで通りとしても、付随する微弱X線を活用した授業が可能になり、そのプログラム開発が急務となった。実際にクルックス管から出るX線を計測しようとすると、高電圧電源やクルックス管自体の放電がノイズとなって計測器の測定を妨害する。GM管はX線も測定できるが、放電を利用するタイプなので影響を受けやすい。半導体を検出器として使用する計測器も電子回路が影響を受ける。微弱X線なので近づかないと測定できないが、クルックス管に接近して使用するとますます影響を受けやすい。従来からある教育用放射線測定器では正確な測定は難しいことが分かった。
他にも、計数ができたとして、X線源を活用してどのようなカリキュラムがあるかも検討する必要がある。これまでのような、距離の実験とか、遮へいの実験をどうすればよいのか、検討を始めた。
そのために開発した高電圧電源がある。クルックス管はさすがに購入せざるを得ないが、高電圧なら経験もあるし、クルックス管なら電源の容量も大きくない。ただ、電圧だけがこれまでの2倍以上必要になる。目を付けたのは、14000Vを出力する高電圧発生器で、教材として科学技術館の売店で売っていた。1.5Vの単三電池で14000Vを間欠的ではあるが出力できる。試してみると、数秒に1回程度はクルックス管を光らせることができた。駆動電圧を上げるとどうなるかを試そうと、当然、自己責任だが、3V、4,5Vと上げてみた。6Vでは、さすがに放電リークがあって、使えそうにない。分かったのは、駆動電圧を上げると、高電圧の上昇は駆動電圧の比まではいかない多少上昇する。それよりも目に見える効果は放電の繰り返しが早くなることだった。早くなればクルックス管の見た目の明るさは増す。駆動電圧を上げると、装置の寿命が短くなることもあり、4.5Vで駆動する装置を作り上げた。一般的なインダクションコイルはアースを取るのが原則となっているが、この装置ではどうするか悩んだ。単三電池3本で駆動するので、商用電源に接続する必要はないが、高電圧の両端子がどんな電位になっているのか気になったが、測定する手段はない。どう考えたかは覚えていないが結論を言うと、フリーな状態では一端がプラス、他端はマイナスの高電位になっていると判断した。つまり、片側をアースすると他端がプラスまたはマイナス17000Vになるが、アースをしないと、片側はマイナス8500V、他端はプラス8500Vになっていると思われる。このことは、アースをしないで使用すると金属部分に触れると電撃を受けるということを意味する。ただし、経験的にはケーブルの被覆や電池ケースに触れても問題はなかった。
このことを手掛かりに、この装置を直列に接続すると2倍の高電圧が得られるのではないかと考えて、実験してみると2倍まではならないが大幅に電圧が上昇することが分かった。ただし、3段ではうまく行かなかった。高電圧発生の周期が合わなとダメということらしい。そこで、最初は、単段と2段を切り替えられる高電圧電源を試作した。苦労して放電電極を設けて、スパークギャップを調節できるようにした。単段と2段の切り替えは、電池ボックスのスイッチで行い、片方ONなら単段、両方ONなら2段になる。一応、絶縁物の上において、電撃を避けるようにして使用しているが、問題はない。その後、単段の高電圧電源を作って、2段にしたい場合は、2台の電極間で直列接続するようにした。その結果、極めてコンパクトな高電圧電源ができた。スパークギャップで図ると、単段で17mm程度、2段直列で25mm程度にはなっている。換算すると、それぞれ17kVと25kV程度と考えられる。単三電池3本のスイッチ付き電池ボックスは外部にあるので、要すればケーブルを長くして、装置から離れて操作することもできる。高電圧が怖い向きにはよいかもしれない。
ウエブカメラを検出器にする
パソコンで使用するUSB接続のウエブカメラはテレビ会議やリモートワークで使用されるが、ウエブカメラは光ばかりでなく低エネルギーのX線を検出できる。そのことは、簡単に確認できる。そのためにウエブカメラを改造する必要はない。単に、遮光のためにレンズの前に黒いビニールテープを貼り付け、電気的な保護のためにアルミシートを巻いておくだけでよい。クルックス管を放電させて、ネックと反対側の丸みを帯びた端面の近くにウエブカメラを近づけて、パソコンのカメラソフトで観察できる。ただし、点は小さく、スナップ写真では分からないので、動画で撮影するとちらちらする輝点が見えるが、よほど注意深く見ないと分からないかもしれない。これまでは、放射線の可視化といえば霧箱が定番だったが、今後はクルックス管とウエブカメラの組み合わせが新しい手段として使われるようになるだろう。何しろ、ほとんど準備作業はなく、その気になれば先生方でも気楽に試すことができるから。
最初の改良点は、極めて小さい輝点を大きく見せられないか、ということだった。そこで、Pythonの活用を思い付き、調べてみるとOpenCVというウエブカメラの画像処理に適したライブラリーがあることが分かった。チュートリアルや先行例も豊富に公開されていて、画像の二値化としきい値処理を組み合わせればよいことも分かった。画像を二値化つまりカラー画像をモノクロ画像に変換して輝点の周囲を強調するという処理である。1回のサンプリングは動画の1/30秒なので、検出数が少ない。そこで、画像の加算によって輝点を蓄積したあとで、しきい値処理をして画像を表示するというプログラムをPythonで作成した。その結果、学校の授業でも放射線の可視化が簡単な手段で実現できることが分かった。写真の蓄積時間は3分で、短時間に画像を得ることができるし、増えていく経過を見ることもできる。
Pythonは簡単に扱えるので、高校生程度なら好みのようにカスタマイズもできる。
画像をみると輝点に大小があるように見える。輝点が1画素なのか数画素なのかを調べるために、とりあえず全画素の輝度を調べて画素のサイズに合わせた行列として出力し、その結果をExcelグラフで見ると、おおむね輝点1個は1画素に対応していることが分かった。2画素、3画素のケースはあるかないかで、極めて少ない。2画素、3画素の重複カウントは問題ないことが分かった。
ウエブカメラでX線を計数するPythonプログラムも作成した。前述のように、クルックス管自体や高電圧電源の放電ノイズがGM管や半導体検出器の電子回路に影響を与え、正確な計数ができない。ウエブカメラも電子回路だが、アルミフォイルで電気的シールドをしているためか、影響はないようだ。また、ウエブカメラで計数実験ができれば、授業での応用範囲が広がる利点もある。その方法は、毎秒30コマの動画から0.1秒ごとのシーンを10秒間加算し、画素ごとの輝度を測定して、しきい値以上の画素をカウントする。その計数を10/3秒毎の計数率として6回反復して出力する。分かりにくいようだが、計数率は10秒率になっている。このプログラムは、距離の実験や遮へいの実験に使うことができる。ただし、距離の実験には、クルックス管の端面の前に直径6mm程度の円孔を開けた鉛板でコリメートする必要がある。コリメートがないと点線源の仮定に合わなくなる。また、遮へいの実験では、X線の場合、β線のような密度依存性ではなく、原子番号依存性が現れるので面白い。原子番号の大きい材質の方が減衰は大きい。このことが、レントゲン検査において、組織と骨を識別できる利点になっている。試しに、乾燥肉とチョークとを比較すると実感できる。
Visual Basic 6のプログラムPython化
以下の各項目は、「らでぃ」の実験集に掲載したので、詳しくはそちらを参照されたい。Pythonプログラムも例として掲載した。
パソコンやタブレットを計数・表示装置として使用するVisual Basic 6のプログラムは著作権の問題が気になって公表しにくい。そこで、同等の機能をPythonで実現する取り組みを始めた。音声信号のデジタル化なので、PyAudioというライブラリーを使用した。連続してサンプリングするので、ストリーミング機能を使用する。一定のチャンクごとに音声の波形をバッファーに取り込み、ステレオの2チャンネルで波高をリストとして記録する機能である。Pythonのルールによって、リストをアレイに変えて以降の処理をする。バイトデータを整数に変換すれば、Python特有の部分を抜けるので、後は数値演算を行って、音声信号の波形分布をファイルに記録する。計数のディスクリミネーションのために、最大値を記録、表示した。音声信号はオシロスコープのように波形として表示するために、Matplotlibというライブラリーを使用した。一例では0.12秒分の波形を次々と画面に表示する。Visial Basic 6と同等の機能がPythonで実現できた。
次は、10秒毎の計数率を6倍してCPMとして画面に表示するPythonプログラム。ディスクリミネーションが必要で、最初にしきい値を入力することにしてあるので、前もって前述の波形表示+最大値出力のプログラムを動かして、しきい値を見積もっておく必要がある。
その次は、1秒率で測定して、経時変化をグラフ化するPythonプログラム。パルス波形をモニターしながら、1秒率の経時変化を表示するプログラムで、主にラドン220の半減期の測定に使用する目的で製作した。したがって、最大時間は600秒、10分となっている。
さらに次は、パルス波高分布をグラフ表示するPythonプログラム。パルスの立ち上がりをトリガーして時間とパルス波高を順次記録し、立ち下がるとパルス波高の最大値をリストに書き込む仕組み。パルス波高の最大値を1000chに換算し、パルス波高(ch)ごとの計数値を記録して、csvファイルに出力するとともに、原波形のモニターとパルス波高分布がグラフに表示される。
コマンドラインで使用するPythonプログラムの宿命で別々のプログラムとなったが、結果として、Visual Basic 6のプログラムと同等の機能がPythonで実現できた。
大気圧GM管でX線のエネルギー分析に挑戦
最後にタイトルに戻って、GM管でエネルギー分析ができそうだ、という話で締めくくる。まず、GM管にはステンレスメッシュの茶こしを被せて電気的なシールドとし、クルックス管からのノイズをカットできた。次に、オシロスコープでGM管の出力を観察して、クルックス管の高電圧電源の波形が正負に変動する両極性であることが分かった。次に、遅れて正のパルスが観測され、このパルスは厚さ0.5mmの鉛板で遮へいされることから、X線のパルスと考えた。正負のパルスからX線のパルスまでは約100msecの遅れがあることから、負のパルスをトリガーとして、パソコンで100msecの遅延処理をしてパルス波高分析を行った。
その結果、低チャンネル側に比例ピークが現れ、クルックス管を単段で駆動したときと2段で駆動したときでは、やや離れた位置に出ている。なお、高チャンネル側はGMモードのピークで、中間はノイズと思われる。単段の約17kVに対して2段で25kVなのでエネルギーの比は1.5。それに対してX線のピークのチャンネル比は約1.4と極めて近い結果となった。
詳細は、「らでぃ」実験集に載せた。まだ、ベストコンディションのデータなので、確実とは言えないが、エネルギー分析という目標がクルックス管で達成されたように思う。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(4)
今回のテーマは放射線のエネルギー分析の可能性なので、厳密に言えば、タイトルとの矛盾を指摘されると思うが、同じ道具立てを使った話しなので、「GM管」と称するのはその装置の代名詞と考えてほしい。
まずは検出した放射線パルスについて
まだ、ココログ「科学館員の独り言」で自作GM管を取り上げていた頃、既に計数のデジタル表示はできていたが、訳の分からない現象があった。それは、計数率が考えられないほど多くなる現象。別に連続放電をしている訳ではく、検出音を耳で聞いていてもそれほどおかしくないのに、計数率だけが過大となることがしばしばあった。ただ、印加電圧を下げるとその現象は消えたので、測定の際は印加電圧を上げ過ぎないようにして行った。この現象は、検出パルスをオシロスコープで観察するまでの謎だった。実は、オシロスコープを導入する前にも、パルス波高を図る試みをしていた。つまり、AD変換によってパルスの大小を測る試みである。その際に、パルス波高には大小のあることが分かった。
GM管では、パルス波高は飽和していると教科書には書いてあるので、パルス波高は、当然、一定のものという思い込みがあった。飽和といってもパルス波高にはある幅の分布があってもおかしくない。ところが、ときどき桁外れに大きいパルスを観測していた。そのとき、直感的にこれは測っている線源とは別の宇宙線ではないか、と思うようになった。とすれば、GM管の構造を変えずに、放射線のエネルギーを知ることができるのではないか、と考えて、いろいろな実験に取り組むこととなった。当然、ガス電離を検出原理とする測定器は、GM管のほかにも、電離箱とか比例計数管とかがあって、これらはエネルギー分析ができる。印加電圧を下げていけば、構造はGM管でもこれらの領域に達する可能性があるはずなので、おかしな話ではない。しかし、印加電圧を下げれば、パルス波高も低下するので、電圧増幅が必要になる。問題は、増幅器つまりプリアンプで、いろいろと試作したが、増幅率をどの程度にすればいいのかが分からなかった。結局、オシロスコープを導入することで、研究は前進した。
オシロスコープで検出パルスを観測すると、冒頭に述べた不思議な現象の本質が分かった。それは、1個の放射線の入射に対して、複数のパルスが観測されたことだった。1個の入射に対して、1個もあれば、2個、3個もある。もっと多いものもある。その複数パルスが増えるのは、印加電圧を上げた時なので、1個の入射に対して1個のパルスを得るには、単に印加電圧を下げればいいことも分かった。つまり、単純にパルスを数えると、複数パルスをカウントすることになるので、1個の入射に対して、1個のカウントという本来の目的には合致しなくなる。印加電圧を下げる方法はあるが、その場合は計数率が低下してしまう。どうすれば、1個の入射に対するはずの複数パルスを1個と数えるかが問題となる。これは計数処理の問題なので、マイコンのプログラムを工夫すれば解決できると考えて、その課題に取り組んだ。
複数パルスの発生機構は分からなくても、複数パルスの出るパターンを分析すれば、解決できるのではないかと考えて、各パルスの波高と時間間隔を調べてみた。多くは最初のパルスが最大波高なので、ディスクリミネーションである程度解決できる。しかし、必ずしも最初のパルスが最大波高でないケースも少なくない。むしろ、時間間隔で最初のパルスの後にできるパルスを排除できないかと考えた。厳密ではないが、最初のパルスとその後のパルスの時間間隔はほぼ1msec以内であった。複数パルスで2個以上の場合でも、各パルスの時間間隔は同程度であった。そこで、マイコンのプログラムを工夫して、最初の入力後の1msec以内の後続パルスは継続的にカウントしないようにしてこの問題は解決した。現在の検出器にはこの機能を持たせてある。ただし、厳密に言えば1msec以内の異なる2個目の入射も排除することになるので、その場合は数え落としとなるが、そもそも教育用測定器は計数率の低い線源で実験しているので、その可能性は低いと考えている。
もう一つの問題は、高電圧電源の発振ノイズの除去という課題である。発振周波数は約40kHzで人間には聞こえないが、オシロスコープや計数回路でははっきりと観測される。波形を目で見れば違いは歴然だが、検出回路でこのノイズを排除する必要がある。放射線の検出パルスはノイズに載っているので、最低限、ディスクリミネーションで切り捨てることができる。実際、自作の計数表示装置がついた計測器ではその方法を取っている。もう一つの方法は、コンデンサーを並列接続することによって、パルス波形を積分処理することで、高電圧電源の発振ノイズが減衰する。しかし、この方法では放射線パルスの波形も影響を受けて、パルス波高が低下するので、コンデンサーの容量の最適化が必要になる。経験的には、220nF程度が適当ではないかと考えている。他方、パソコンやタブレットを計数表示器として利用する場合は音声信号としてアナログ回路で処理されているので、可聴域を超える周波数領域として排除されている。したがって、パソコンやタブレットのマイク入力を利用する場合は、高電圧電源の発振ノイズは問題とならない。
元に戻って放射線パルスの大小について
放射線教育において、もっとも悩ましい問題は、放射線とはという問いに対する答え方である。多くは、放射線とは高エネルギーの粒子または電磁波、と答える。電磁波が出てくるので、わざわざ周波数領域で、電波、可視光線、紫外線、X線、γ線と説明していく必要がある。これでは、わざわざ分かりにくくしているように思う。少なくとも高校生のレベルでは、多少乱暴でも、端的に、放射線とは高エネルギーの粒である、と教えて、電磁波の場合は、粒子性が顕著になる場合である、とすれば、イメージが掴みやすいと考えている。つまり、量子力学的な粒子性とエネルギーが放射線の本質であるが、エネルギーについてはこれまで授業などでうまく伝えることができなかった。適当なツールがないためである。「はかるくん」には、エネルギー分析装置が用意されていたが、測定に時間がかかりすぎて、せいぜい長時間の測定結果を講義で示すことしかできなかった。もし、GM管でエネルギー分析ができれば、比較的短時間でスペクトルが取れるので、授業でも使えるのではないか、と考えた。
結論を言うと、これはもの知らずの考えで、なかなか実行は難しいということだった。要するに、一般的な授業で使える放射線源は身近な放射線源なので、ほぼβ線+γ線に限られる。GM管はγ線に対して感度が極めて低いので、β線だけが対象となる。そこで、β線はエネルギー分析に使えるのか、ということになる。β線は、親核種から放出される際にニュートリノを同時に放出してエネルギーを持ち出すので、β線のエネルギーは最大値からゼロに向かって山形の分布を持つことになって単一エネルギーではない。分布の最高値は、最大エネルギーの約1/3と言われているが、分布のある場合にパルス波高分布がどのように表現されるかが分からなかった。パルス波高分布と放射線のエネルギーの関係を明瞭に示せないと、授業での説明ができない。
では、α線ならどうか。これも単純ではない。確かに、α線のエネルギーは決まっているが、検出器の外に線源を置いた場合は、GM管の例でいうと、端窓でエネルギーを失うばかりか、内部が大気圧のブタン+空気なので、徐々にエネルギーを失って、現在の管長の約5cmではエネルギーがゼロになる。とすると、もはや一定のエネルギーではなく分布ができてしまう。さらに、身近なα線源はラドン220くらいしかなく、半減期が短いので計数が多くならない。
GM管の構造で比例計数領域を探した
GM管と比例計数管の違いは電子増倍率の大小にある。どれだけ多くの電子なだれを作るかの指標で、GM管と比例計数管では2桁以上も違う。したがって、GM管を制限比例領域で利用するとしても、パルス波高が約2桁低くなるので、プリアンプを入れて増幅する必要がある。プリアンプは簡単なものでもよくて自作可能だが、どれほどの増幅率が必要なのか分からなかった。また、信号のレベルが低くなると高電圧電源からのノイズが邪魔をするので、その対策が必要になる。この2点は相互に関係して一種のいたちごっことなった。
最終的には、プリアンプの増幅率は10倍とし、GM管からの入力抵抗にバーニアダイアル式精密可変抵抗を使用してアッテネーターとして利用し、両方を使うことで幅広い入力レベルに対応できた。また、高電圧電源のノイズ対策としては、高抵抗とコンデンサーを組み合わせてローパスフィルターを構成し、ノイズレベルをある程度制限することができた。それでも、ノイズレベルと目的とするパルス波高分布のピークが近く、区別が難しかった。
次の図は、市販のGM管(LND社製タイプ723)を用いて測定した結果で、初期的な装置ではあるが、得られた印加電圧とパルス波高分布のピークの関係で、ピーク位置はチャンネルで表したものである。チャンネルは、パルス波高の最大値の電圧を意味するが、最大値を1024チャンネルとして表示している。そのチャンネルを、プリアンプの増幅率で補正して表示した。
次の図は、市販のパンケーキ型GM管(LND社製タイプ7313)でモナザイト+カオリンを線源に、改良を重ねた後の装置で測定した、印加電圧とパルス波高分布のピークチャンネルの関係を表す。
タイプ723とタイプ7313の推奨印加電圧は、それぞれ1000Vと500Vなので、GM管領域から2桁ほど下がった比例計数領域の始まりは、それぞれ540V(推奨電圧の54%)と330V(推奨電圧の66%)あたりと考えられる。
印加電圧を下げながら、パルス波高分布の推移をみると、GM管領域では高チャンネル側に単独のピークを持つが、印加電圧の低下とともにGMモードのピークは低チャンネル側にシフトするとともに波高が低下し、低チャンネル側に比例ピークが出現するダブルピークの状態になる。さらに印加電圧を下げるとGMピークは消滅し、比例ピークが単独で現れるようになる。その様子を示したのが、次の図で、
タイプ7313の場合、337Vでは200ch付近に比例ピークがあるほか、600chから800chにかけてGMモードのピークがかすかに残っていてダブルピークの状態にあるが、334Vでは100ch付近の比例ピークだけが単独で現れている。
性能が担保されている市販のGM管を使用して、比例計数領域を探ってみたが、結果として見つけることができた。ちなみに、これらで使用した身近な放射線源は塩化カリウムである。β線源であるが、前述のようにエネルギー分布を持つにもかかわらず、かなりシャープな比例ピークが得られることが分かった。では、このピークはどのエネルギーに対応するのだろうか。それはまだ分からない。他の放射線源と比較すれば、エネルギーの違いを定量的に見つけられるかもしれないが、身近な放射線源ではβ線源は塩化カリウムしかない。以前は、蛍光灯のグローランプには、プロメチウム147が使用されていて、これは貴重なβ線源だったが、現在は入手できない。
ついでに、おもしろい現象を紹介する。比例計数管では、計数率の大小でピークがシフトすることが知られているが、計数率の小さい方が高エネルギー側にシフトする。逆ならばいろいろな原因仮説がありうるが、この現象を説明できる仮説はないという。最初は、単純に、計数率が多いと電源電圧が降下して、パルス波高が低下するという仮説を立てたが、自作装置のようなレギュレーションの貧弱な装置ならいざしらず、本格的な装置であれば電圧の変動はほとんどないそうだ。理由は分からないが、その現象は把握できた。次の図に、塩化カリウムの量を、15gと100gとで、比例ピークのシフトを観察した結果を示す。
なお、この現象があるので、異なる放射線源を単純に比較してエネルギー校正をするという方法は難しく、少なくとも計数率を揃えないと正しい結果はえられない。
ここまでは、いわば失敗談だが、負け惜しみで言えば、放射線源としていわゆるチェッキングソースを使えば結論が示せたのかもしれない。基本的に学校で気軽に使用できる身近な放射線源の範囲では限界があったということである。
ところが、その制約の中で、エネルギーとピークチャンネルがほぼ比例する結果を、ある放射線源で示すことができた。その話はこの次に。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(3)
クリアケースGM管の標準化
高校授業でのGM管の組み立てを実践して、この作業自体は生徒の評判も良く、それなりの手ごたえが感じられるが、課題がいくつか見つかった。一つ目は完成までに時間がかかること、二つ目は個別指導に手間がかかるので講師のほかに助手を多く必要とすること、三つめは生徒間でGM管の出来栄えに差が出やすいので、不満材料になること、四つ目は生徒全員分のパーツを事前に用意しなければならないこと、である。高校レベルでは、本来、定性的な放射線の検出ではなく、定量的な計数実験が重要となる。そこで、授業においては、時間の制約も考えて、GM管工作は止めて計数実験ができるような改良が必要と考えた。つまり、まずはGM管の既製品化である。
改良点は、GM管側から出るアノードとカソードの接続端子を、2mmのビス・ナットとして簡素化かつコストダウンしたこと、それに伴って、アノードの支持は、中央のビスの頭に虫ピンを約半分に切ってはんだ付けし、カソードのアルミテープは、容器内壁に貼り付けて、その根元でビスを貫通させる構造としたこと、アノードの構成を変更して、線径0.23mmのステンレス線を二つ折りした後に、指だけでよじって先端部に直径2mm程度のフープを作り、根元から2cm長さに切ったビニール被覆に通して、根元の5mm程度を折り返して、その上に熱収縮チューブを被せて絶縁したこと、の3点である。指だけでよじるのはステンレス鋼が硬くてフープを直径2mmまで小さくするのは大変だが、工具を使うとアノード線に傷をつけるので使ってはいけない。この結果、クリアケースGM管の特徴の一つである構成要素の自由な選択を残しつつ、外部的な構造は標準化することができた上に、アノードの長さとか線径、線長、あるいは形状、カソードの材質などをパラメータとした実験が可能になった。
併せて高電圧電源の改良を行った。これまでは駆動電圧6Vで、5000V強の電圧を固定的に出力できていたが、やや電圧が不足している印象を受けたうえ、電圧が可変でないと、特性がまちまちのGM管に対応できないケースが多く発生する。そこで、駆動電圧を9Vに上げ、さらに駆動電圧を可変とすることで、出力電圧を最低2000V程度から最高6000V程度まで広範に変化させることができた結果、クリアケースGM管のいろいろな特性を調べることができた。それらの結果は前述の放射線教育支援サイト「らでぃ」の、ホーム>教材>実験集に詳しい。具体的には、黒画用紙が金属カソードと遜色ないこと、管全長のアノードより二つ折りアノードの方が高性能なこと、黒画用紙カソードはγ線の検出率が低いこと、ブタン濃度の許容幅がある程大きいこと、などである。なお、これらクリアケースGM管基本型の自作方法についても詳しく図解入りで実験集に掲載している。自作に関心ある方々には一読をお勧めする。
計数の工夫
前述のパラメータ・サーベイでは、計測回路には秋月電子製のキットを参考にしつつ、入力段にオペアンプを入れてバッファーとディスクリミネーター機能を持たせた。計数は、液晶ディスプレイに表示して、ロジックICでパルス音と表示用LEDの動作をはっきりさせる目的の保持時間約1msecを作った。外部出力はシリアル出力でRS232Cに準拠した。パソコン側では、Visual Basic 6でプログラムを作り、計数のログを取れるようにした。この計数装置を標準化すれば授業でも使えるのだが、自作で測定器の数をそろえるのは難しい。
そこで、まず、パソコンやタブレットを計数装置として利用することを考えた。GM管からの電圧パルスを音声信号と捉えて、マイク入力端子からパソコンに取り込んで、プログラムで処理することとした。実は、このアイディアは既にあって、アプリとして公開されていたが、必ずしも教育目的ではないので、そのまま使うわけにはいかない。やはり。カスタマイズの必要があった。
最初はプログラムを開発して、学校側のパソコンなり、タブレットなりにインストールしてもらうことも考えたが、学校サイドではプログラムのインストールは制限されていて、無理があった。そこで、タブレットを用意して、アプリをインストールしておいて、それを貸し出すという方法に切り替えた。この方法ならば、プログラムが問題になることもない。
早速、秋葉原で格安タブレットを購入したが、これが見事に安物で、タッチパネルがまともに動作しない。とくに四隅がダメなので、結局、マウスで操作する羽目になった。このアプリは公開していないが、結構優れもので、パルス波形がオシロスコープ的に掲示表示され、それを見ながら印加電圧やデイスクリミネーションのレベルを調整できる。Visual Basic 6のプログラムなので、コマンドボタンで計数動作を選択できるようにした。これまでに授業実践の経験から、計数は1秒率と10秒率をメインとして、30秒率も選択できるようにした。高校理科の計数実験であれば、10秒率を6回繰り返せば十分信頼できるデータが取れる。このアプリはログが取れるようにしたので、必要があればCSVファイルを取り出して、Excelなどのパソコンソフトで詳細なデータ処理もできる。本来ならば、そこまで授業でやりたいが、授業時間の制約は何ともし難い。
次の写真は、タブレットによる計数を高校で実践した際の、装置のレイアウトである。発泡スチロールの板に穴を開けて位置決めをし、さらに距離の実験が進めやすいように、距離が両対数グラフでほぼ等間隔になる位置に線源を置けるスリットを刻んである。タブレットの位置は高電圧電源の干渉を受けないように離れた位置とした。
学校の授業での問題点と解決法
パソコンを使う計数方式は、今後のICT教育の普及に即した方法ともいえる。データを取りながら、データ処理ができるので、様々な課題を提供できる。さりながら、現在の、Visual Basic 6のプログラムを使うのが良いかどうかは判断が分かれる。そこで、プログラム学習の要素も持ち、実際にデータ取得やデータ表示が可能な言語として、Pythonを使用したプログラムのひな型を用意した。
Pythonならば、すでに学校でも使われ始めており、オープンソースで使用できるライブラリーも充実している。参考例も多く公開されており、プログラム作成に役立つ。「らでぃ」の実験集にはそのひな型を掲載した。
貸出機器の場合、学校の出前授業が中心なるが、理科室が使えない場合もある。その場合は、電源の確保が大いに課題で、少ないコンセントからたこ足配線でテーブルタップをつなぐ必要がある。班ごとにテーブルタップを用意するのは、結構大変で手間もかかる。高電圧電源は、最初は9Vの電池を使用していたが、電池の消耗がかなり早くて、計数の維持が難しいことが分かった。そこで9VのACアダプターを使用して比較的安定な印加電圧を出力することができたが、その後は12Vの電池パックを用意して、電池駆動とすることにした。12Vとしたのは、電池の電圧が徐々に低下しても、高電圧電源の安定化回路で9Vが維持できるマージンが大きいためである。
密閉型GM管の導入
クリアケースGM管の利点として、蓋を被せる方式なので、内部の構造や構成、あるいはラドンなどを線源として使用し、α線の検出器としても使えることを挙げたが、逆に言えばガスの漏れは防げない。実際は、数時間の使用中は大きな変動はないが、翌日はもう無理であった。そこで、密閉型のGM管を作ることにした。クリアケースの場合は、たまたま適当な容器として利用できたが、同程度のサイズで厚肉の容器はなかなか見付からなかった。いろいろ考えた末に、容器の胴と天板を別々に作って接着し、端窓は薄いプラスチック・フィルムを胴に貼り付ける方法を考案した。
胴は円筒の材料でよいが、接着を確実にするには、ある程度の厚みが必要となる。また、このような既製品はないので、胴を切断で作るとすれば、加工しやすい材料が望ましい。結局、胴は塩ビパイプとした。簡単に切れて、しかも安い。天板も円板の既製品は高いので、作ろうと思ったが、アクリル板では硬くて切れない。そこで、ABS樹脂で厚さ2mmの板を見つけて、使うことにした。透明である必要はないので、黒い板を使った。ハサミで円板を切り出し、端部をサンドペーパーで仕上げた。胴の方はやや難しい。端部を垂直に仕上げる必要があるので、まず治具を作り、目の細かいノコギリで接岸した後、端面が平滑になるまでサンドペーパーで仕上げた。これは漏れのない接着に欠かせない作業である。端窓は、薄い方が良いが、丈夫さも考慮して、厚さ0.1mmのOHPシートやパウチシートを利用した。接着剤の選定も難しいが、塩ビやPETでも接着できる万能接着剤があるので利用した。接着と言いながら、実際は貼り付けているだけのような感じがするが、それでも密閉には十分に機能する。天板には、ノズルを設けてガスの注入ができ、かつ、密閉にはノズルに密着性のキャップを被せて封止することにした。ノズルは細いので、ガスの注入には細目の針のシリンジを使用する。アノードとカソード、接続方法については、クリアケースGM管と同様にした。ただし、ノズルがあるために、高電圧電源とのドッキングには方向性ができたが、アノードとカソードを取り違えて差し込まないようにするためには役に立った。この密閉型GM管の作り方も、放射線教育支援サイト「らでぃ」の実験集に掲載した。10数個製作した密閉型GM管のうち半数程度は3年以上も性能を維持している。
7セグメントLED表示による計測機能のビルトイン
計測機能をパソコンやタブレットで実現する方法は、例えば自作の場合は有効な手段になる。比較的簡単な高電圧電源さえ自作できれば、計測回路を自作する必要はない。Pythonでパソコンにプログラムを導入するのは簡単で、「らでぃ」実験集にひな型のプログラムは載せてある。しかし、学校での授業で使用するには、計数表示ができる計測器が望ましいと考えた。実はこれまでも既に開発した液晶表示による計数回路の利用を考えたが、計測部分を別のユニットにするのは、接続などの手間が問題になる。できれば、高電圧電源の中に計数化路が組み込めないかと考えてはいた。問題は、入手できる2行8桁の液晶表示器は、残念ながら使用しているプラスチックケースには収まらない。2行8桁でなく、1行4桁とかなら入るが、これは小さすぎて表示が読みにくい。
そこで、同じ4桁で良いなら、7セグメントLED表示ではどうかと考えた。これならば、明るくはっきりと数値が読める。多少、駆動回路が複雑になるが、高電圧電源の中には組み込める。この方針で、統合型の教育用放射線測定器が出来上がった。当然、計測器といっても、教材なので性能はまちまちだが、ある程度の再現性と安定性は担保できた。理科の計数実験において、信頼できるデータを得るには十分である。ただし、7セグメントLED表示における計数値は、1秒率と10秒率を切り替えるだけのプログラムとなっている。それに合わせて、授業用に、遮へい厚さ・材質の実験、距離の実験、半減期の実験、統計的変動の実験のワークシートを用意した。統計的変動の実験以外は10秒率を6回測定するのを基本としている。装置は1秒率で起動し、プッシュボタンを押すと10秒率に切り替わり、1秒毎のカウントダウンを表示してから10秒率を表示して保持する。再度プッシュボタンを押せば、次の10秒率の測定ができる。
いちいち表示を読み取る作業が必要で、ログは手書きになる。面倒と思うが、実は、授業には適している一面もあった。パソコンにデータを取り込んでおければ、表示を読む手間が省けると考えるが、実は何も作業しないという欠点がある。実験をした実感が得られないという訳である。実際、授業実践では、1秒率で統計変動の計数を100点採取するという課題を出したら、わき目も降らずに実験に没頭していた。つまり、手作業はある程度不可欠という結論になった。遮へいの実験では遮へい体の追加や交換が作業となり、距離の実験では位置の移動が作業となる。ただし、これもやろうと思えば一人でできてしまう作業なので、役割分担を考えないと遊ぶ生徒ができてしまう。指導では、セッティング係、読み取り係、記録係などと役割分担することで、実験の効率化を図りつつ、1班4人での実験に合うように工夫している。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
余談:海外出張
始めたばかりで脱線するのも恐縮だが、リクエストがあったので、40年以上も前の海外出張の失敗談というか、珍体験というか、印象に残ったできごとについて触れてみたい。もう、記憶に定かではなく、記憶違いもあるかもしれないが、できるかぎり思い出そうと思っている。
海外出張にまつわる因縁
今のように海外旅行が一般的でなかった時代。会社は研修を兼ねて、機会を設けて海外出張を命ずるのが普通で、多くの社員はそれが初めての海外旅行だった。大体、入社後の年数に応じて、幹部候補生を順番に送り出す習慣だった。
順番が回ってくるタイミングで父が病床にあったことから、何回か断っていた。声がかかれば喜んで応ずるのが普通なので、上司からは小言を言われたりした。昇進に響くよって。
実は断っていたのには、他の理由があった。それは、初めて飛行機に乗ったのが新婚旅行で、帰路、離陸して眼下に海が見えた後、雲の中を上昇するが、機体がガタガタ揺れてなかなか雲の上に出ない。大丈夫かなと思いつつ、しばらくするとアナウンスがあり、エンジン不調で出発地に戻ります、と告げられた。不安はますます募り、眼下に海が見えだした頃は、その極致に達していた。結局、無事着陸できてホッとしたが、その続きがあった。株主優待券で搭乗していたので、別会社の便に乗れず、長く空港に二人だけ残されて、待つことになった次第。出発地に戻った時には、荷物のターンテーブルには我々のスーツケースだけがカラカラと回っていた。この一件があって、すっかり飛行機恐怖症になってしまった。
最初の海外出張でのできごと
最初の海外出張は業務命令で拒否のできないものだった。当時はあるプロジェクトの主担当で、海外視察が命じられ、2人の関係者とともに海外出張した。実は、3人とも同じメーカーの社員で業務でも頻繁に付き合いがあったが、3人とも海外出張は初めての経験だった。幸いなことに、別の業務で出張する部長級が同行してくれた。英語がペラペラの方で、心強かった。
出張の時期は、ちょうどゴールデンウィーク。当時は毎年、春闘があって、交通ゼネスト、つまり当時の国鉄以下、私鉄も歩調を合わせてストライキを実施していた。したがって、空港まではタクシーに頼らざるを得なかったが、当時は交通渋滞が日常の時代。よく渋滞で搭乗に間に合わなかったという新聞記事を見かけていた。早めにタクシーで空港に向かい、無事に全員と落ち合うことができた。
出張先はアメリカだったが、当時はアラスカのアンカレッジ経由で、給油の間、空港内に留め置かれた。まだビザがある時代だったが、とくに問題もなくシアトルに到着し、無事入国できた。ところが、定時運行が稀だった時代で、遅延のために予定していた国内便に乗り遅れてしまった。早朝に到着したのに、次の便は午後。長々と空港内に止まることになったが、国内線への乗り継ぎができなかった代わりに空港内でいろいろな体験ができた。
最初に驚いたのは、滑走路から空港ビルに移動するときのこと。地下に降りて、エレベーターのような乗り物に乗った。記憶では、大型のケーブルカーくらいの大きさだったと思う。それが上ではなく、横に移動を始め、移動が終わると自動的に扉が開く、まさに横に動くエレベーターだった。これが最初のびっくり。
次のびっくりは、聞いてはいたがトイレが有料だったこと。小銭がないと入れない。まず、小銭を作ろうと、朝食を取ることにしたが、早朝なのでレストランは開いていない。機内でガッツリ飲み食いしていたのであまりお腹がすいていないこともあって、今で言うファストフード店でアメリカ風に豆料理を食べた。その後、デザートと思ってアイスクリーム店にいったところ、スタンダードが2ディップ、3ディップもあって、食べる量の違いに驚かされた。
次のびっくりは、次の国内線のフライトのこと。聞いてはいたが小型機で16人乗り。周り中がよく見えて、いかにも飛行機に乗ったという感じがした。国際線では窓の外は見えなったから。しかも、パイロットは女性。さすがに珍しく感じた。レーニエ山を見ながらカナディアンロッキーを超えて最初の目的地のリッチランドについた。名前とは裏腹に、鄙びたローカル空港で、空港ビルなどなく、日本の鉄道の田舎駅よりも小さい建物があるだけだった。移動手段は車だけだが、手配していた迎えもなかなか到着しなかった。後で聞くと、予定が変わったので、時間の調整が難しかったらしい。
次のびっくりというよりは失敗談は、午後に着いたので、ホテルでコロンビア川を眺めながら夕食を取り、日が暮れていくのを眺めていたら、川を自動車のような乗り物が渡っている。水陸乗用車だが珍しかった。同僚が、「川」と言ったら、誰かが ”Yes, it’s a car!”と言ったが、一瞬理解できず、そうかそう聞こえたのかと分かって、一同納得した。失敗談は、翌朝のこと。眠気に負けて寝入ったが、朝になって電話で起こされた。朝食会が設定されていたが、3人とも寝坊して、1時間も遅れてしまった。実は、着いたのがアメリカのサマータイムへの移行日で、時差ボケに加えて夜の時間が短くなっていたのが原因と、タイミングの悪さを嘆いた次第。
次のびっくりは、研究所の訪問で入門手続きをするが、女性警備員が大きな拳銃を腰にぶら下げていたこと。日本の警察官が携帯している拳銃より倍以上大きかった。女性警備員も日本ではなかなか見られない時代でカルチャーショックを受けた。
その後は、ソルトレイクシティを経由して、アイダホフォールズへ。ソルトレイクの白さと、アイダホの乾燥地に見えた人口灌漑の丸い緑の農場の群れは新鮮な体験だった。さらに、シカゴを経て、ロサンゼルスに着いた。夕方、メキシコ料理を食いに行こうとなって、バスに乗ったが紙幣しかない。運転手に釣りはないと言われて紙幣を取られ、小銭がなくて損をした。当時のロサンゼルスの夕方はどの店も閉まっていて、ショーウインドウには何もない。物騒な街という印象を受けた。夕食といっても屋台でタコスを食べただけ。
翌日はサンタモニカに移動して、視察。こちらで夕食会を用意してあって、先方と夕食を共にした。場所は、ビクトリアステーションというレストラン。プライムリブステーキを注文するのに、何ポンドにするかと問われて、半ポンドを注文したが、さすがに辟易した。向こうの食事の量にはついて行けない。ついでに言えば、帰国後は、一種のアメリカかぶれになって、当時、南船橋のららぽーとにあった、ビクトリアステーションに行っては、プライムリブを注文した。
ロサンゼルスに戻って、さあ、帰国となったが、ゴールデンウィークで、帰りのフライトはオープンだった。便の確保に数日かかるかもしれない、と言われながら待つこと暫し。幸い、予定の期日で帰国することができたが、過食が祟って体重が4kgも増えてしまい、産業医から減量を命じられる始末。でも、この機会にダイエットに取り組み、当時は高かった0.2kg単位のデジタル体重計をわざわざ買って、一日の体重変化を調べたうえで、朝の体重を測って記録した。外食でも、ご飯は最初に半分にして残すようにし、香川式のカロリー計算を取り入れて、ダイエットには成功した。以来、そのときの体重計のまま、朝の体重測定は欠かしていない。
二度目の海外出張では
二度目は一人旅だった。イギリスの研究所に委託研究を出していた関係で、仲介する商社マンが一人、イギリスの用件だけに同行してくれた。3月だったが、交通渋滞はひどく、余裕を見て搭乗の6時間前に空港に着くようにタクシーで向かった。空港に着くと商社マンはもう着いていて、一緒に時間をつぶした。会社の規定で最初の海外出張はビジネスクラスで行ける。幸い早くチェックインしたために、ファーストクラスの席で搭乗できた。
今度はシベリア経由で、バイカル湖を眼下に見ながら、アムステルダム経由でロンドンに着いた。ロンドンはピカデリーサーカス近くにホテルを取った。朝着いたので、この日は市内見学。近くなので、トラファルガー広場、バッキンガム宮殿、ウエストミンスター寺院、ビッグベンは見た。夕食は商社の招待で北京料理。
翌朝は、箱型のタクシーで、確か、パディントン駅に向かった。驚いたのは、人々が信号を無視したり、横断歩道以外で勝手に道路を横切ったりすること、まさに、自己責任なのだそうだ。駅から、列車に乗ったが指定席のはずが車両が分からない。車掌に聞くと指定車両はなく、空いている席を指定席にしているらしい。とにかく、指定されている席に座った。3月のどんよりした空の元、研究所のあるレディングに向かった。駅について下車しようとしたが、昔の客車のようなオープンのデッキで、扉は自動的には開かない。困ったのは、内側にノブのないことだった。扉の開け方が分からないうちに発車時刻が迫って焦ったが、駅員に声をかけると外から扉のノブを回してくれた。要するに、安全上の理由で中からは開けにくいようになっているらしい。しかし、扉は下半分だけで上半分はないので、上から外に手を回せば開けられる。これもカルチャーショック。
委託の進行状況や研究所を見学した後、ロンドンに戻った。
翌日は日曜日、午後にはロンドンを離れてパリに向かう。空いた時間で大英博物館をさっと見て、ハロッズで土産を買った。そこで商社マンと別れて、一人旅が始まった。
一人では時間をつぶす場所もないので、早々と空港に着いた。これが、実は早すぎた。チェックインして、空港内で時間をつぶし、飛行機に搭乗してパリに着いた。ところが、何時まで経ってもスーツケースが出てこない。最後の1個が終わって、大変なことになったと気が付いた。夜も遅く、空港スタッフと掛け合ったが、探すので出たら連絡するという。ホテルの連絡先を告げて、仕方なくホテルに向かった。当時はアルジェリア紛争があって、フランス国内でも警戒していた時代。兵士が自動小銃を持ってシェパードと巡回していた。
タクシーの運転手はベトナム人で、若い。ホテルは住所しか分からなかったが、地図を見ながら探してくれて、やっとホテルを見つけてくれた。パリの住所表記はよく分からないが、意外とよくできているらしい。着いたホテルは二流のランクで、ツーリストから帰ったら感想を聞かせてほしいと言われたほど、ツーリストにもなじみのないホテルだった。小さなクロークでチェックインを済ませ、客室に向かったが、エレベーターに乗ると、乗った側でなく向こう側の扉から降りる仕組みで、今頃は珍しくないが初めてでびっくりした。
スーツケースが行方不明なので、手元にあるのは気に入って買ったダレスカバンだけ。一応、仕事が続けられるだけの書類や所持品はあったが、着替えおろか、洗面道具もない。仕方がないので、シャワーを浴びて寝た。翌朝は、朝食付きというので食堂らしきところに行ってみると、大勢の労働者風の人々がいた。座って待つと、ウエイターが来て、カフェオレを左右のポットから上手に注ぐ。感心したが、ほかに出たのはパンだけだった。
この日は休日だったので、店は開いていない。とりあえず開いているドラッグストアを教えてもらって、必要なものは買った。せっかくパリに来たのだから、この際と開き直って、地下鉄に乗り、オペラハウスまで行き、ルーブル美術館まで歩いた。ルーブル美術館は開館直後で、空いていた。2時間ほどかけて回れる展示室は余さず見た。各展示室を一筆書きで回れるのがいい。駆け足もいいところで、モナリザを始め、ビーナス像、サモトラケのニケなど、教科書に載っている美術品を見た。大きな絵画が多い中で、ドガの踊り子がものすごく小さいのには驚いた。
ルーブルを出た後はノートルダム大聖堂へ。中は暗く、ステンドグラスがきれいだった。鐘楼にも上った。その後は、凱旋門方面に向かい、ガイドブックに載っていたレストランに行ってみると閉店だった。仕方なく、ルーブルまで戻って、その近くにあるラーメン店で夕食を取った。かなり有名なラーメン店だったが、パリまで行ってラーメンとはと、後で嘲笑された。ホテルに戻ってから、スーツケースが見付かっているかもしてないと思って高速鉄道に乗って空港に向かったが、近距離電車なのにファーストクラスがあるのには驚いた。空港に行くと幸いスーツケースは見つかっていて、無事手元に戻った。無事というのは、当時、手荷物を北アフリカに送って、スーツケースをこじ開けて目ぼしいものを盗んでから返すという手口が横行していたので、壊されないで済んだのは幸いだった。どうも、ロンドンでのチェックインが早すぎたので、搭乗便ではなく別便でどこか遠くに行っていたらしい。アルジェリアあたりかな、と今でも疑っている。
訪れた研究所はパリ郊外にあるサクレ―。昼食会があったが、デザートが各種のチーズで、ケーキが出ると思いこんでいたのでがっかりした。
パリの次は、ドイツのフランクフルト・アム・マイン。ケルンに近い。ホテルは木造で、三角屋根。コテッジ風でのどかだった。部屋にトイレはあるが、バスはない。シャワー室が共同で3室。おどおどしながらシャワーを浴びた。研究所を訪問して、午前中は見学と研究紹介。昼食が出て終わりと思ったら、午後も続けるという。実は、ケルン大聖堂には行ってみたいと思っていたので、懇願すると車を手配してくれて大聖堂を見ることができた上に、空港まで送ってくれた。迷惑をかけて誠に申し訳ないと今でも思っている。大聖堂がいまいちの感じだったこともあるかもしれない。
ケルン・ボン空港からは、ミラノへ。途中、国内便から国際便への乗り継ぎがあって、待機中に軽食が出たが、これがジャガイモだった。ミラノでは、研究所の見学の後、食堂に誘われ、昼食を共にしたが、カフェテリア方式で美味だった。案内者が水ではなく大き目の炭酸水をがぶがぶ飲んでいるのには驚いた。研究所ではコーヒーはエスプレッソで、抽出する機械がすごかった。ミラノではミラノの大聖堂を見た。まあ、どれも同じような感じ。
ミラノからは、直行便がないという理由を付けて、ローマに行けるようにしてあった。ローマでは、ホテルにチェックインした後、夕食に出た。探したが適当なイタリアン・レストランがなく、夕食なのでコース料理が食べられる店に入った。驚いたのは、サラダの量。大きなボウルに山盛り。パスタも我々が普通に食べる量が途中で出てくる。ステーキが出て終わったが、ワインもデカンターでハーフボトルくらい出た。若さのせいか、意地だったのか、全部平らげて見せた。
翌日は市内見学。地下鉄で回れるだけ回った。コロッセオ、スペイン広場、テルミニ駅。ジプシーがたむろしていた。
帰路は、ローマからアムステルダム経由で逆回り。飛行機はローマではガラガラで、アルプス山脈が白くきれいに見えた。
これで、お終いだが、閑話休題にしては長すぎたかな。まあ、40年以上前はこんな旅だったということで、「へー」と思ってください。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
(id:TJOによる追記)
(当時のガイドブックから転載)
パリで入ったラーメン屋は「らーめん亭」の跡に居抜きか何かで入った「ひぐま」*1だった模様です(当人の記憶でも「角にある店だった」とのことで合致します)。現在は既に閉店していて、ラーメン屋ではない別のお店が入っています。ストリートビューから見られます。