教育用GM管開発を振り返って(9)
放射線教育支援サイト「らでぃ」の実験集に掲載した「Pythonでパルス波形を見る実験」のPythonプログラムについて解説する。Pythonについては全くと言っていい専門外なので、間違って理解しているところがあるかもしれないが、一例として挙げたプログラムの実行は確認している。以下の解説は、むしろPythonをこれから始める人に見ていただきたい。
Pythonの実装など
プログラム開発は、Windows10で行った。64bitの Windows10でPythonを実装し、ライブラリーとして、音声などのアナログ信号を扱うPyAudioと、グラフを表示するMatPlotLibなどをインストールした。インストールの際の注意事項、Pythonの使用方法、パソコンなどへの接続方法、Visial Basic 6ユーザーを念頭にした文法の違いを以下に挙げる。
(1) Pythonをインストールするには、https://www.python.jp/install/windows/install.html にアクセスし、記述に従ってインストールする。
具体的には、https://pythonlinks.python.jp/ にアクセスし、PythonのバージョンとパソコンのOSを選んでインストール・パッケージをダウンロード、実行する。その際、
"Add Python 3.x to PATH"にチェックを入れてからインストールをクリックする。
(2) 必要なライブラリーをインストールする。ライブラリーはpipコマンドでインストールできる。
例えば、OpenCVは、Windows画面の左下にある「ここに入力して検索」をクリックし、cmdと入力してコマンドプロンプトを開き、pip install opencv-python と入力する。(https://qiita.com/fiftystorm36/items/1a285b5fbf99f8ac82eb 参照)
PyAudioの場合は、インストールする前にMicrosoft Visual C++ Build Tool をインストールしておく。具体的には、https://visualstudio.microsoft.com/ja/downloads/ を開き、下の方にある「Visual Studio 2019のツール」から、「Build Tools for Visual Studio 2019」をダウンロードする。さらに、パッケージを開いて、「C++ Build Tools」にチェックを入れ、右側のオプションのチェックは全て外して、「インストール」をクリックする。なお、Cドライブに1.67GByte以上の空き容量が必要なので確保しておくこと。
次に、https://www.lfd.uci.edu/~gohlke/pythonlibs/#pyaudio を開き、Pythonのバージョン3.8とWindows 32ビットを選んでwhlファイルをダウンロードする。ファイルはユーザーのホーム・ディレクトリーに移動し、pip install 「ダウンロードしたファイル名(PyAudio-0.2.11-cp38-cp38-win32.whlなど)」を入力する。
また、Matplotlibもインストールしておく。
(3) Pythonファイルは、ユーザーのホーム・ディレクトリーに置き、「Pythonファイル名.py」をダブルクリックして起動し、終了にはグラフの「閉じる」を利用すればキーボード操作を省ける。
(4) GM計数装置のイヤホン端子とパソコンのマイク入力端子またはタブレットの4極入力端子をシールド・ケーブルで接続する。その際、0.022μF~0.1μF程度のコンデンサを並列接続して使用する。次に、「コントロールパネル」から「オーディオデバイスの管理」を開いて、「録音」→当該「マイク」の「プロパティ」で録音の「レベル」が中位になるようスライダーを調節または確認する。このタブレットはタッチパネルの動作が不安定なので、必要に応じてマウスを利用する。
(5) Pythonの学習について
Pythonは、昔のBasicやFortranなどに慣れた人ならなじみやすいコマンドライン入力方式となっている。GUIやタッチパネルに慣れた人には難しいかもしれない。
パソコンのプログラミング未経験者ならば、Python入門編から勉強する必要があるが、コマンドライン入力に慣れた人の場合は、逆に、似ているが違う使い方に注意する必要がある。Pythonコードの書き方の基本は、PEP8 Style Guide for Python Code というドキュメントにある。(https://pep8-ja.readthedocs.io/ja/latest/)
(6) Visual Basic 6との文法の違い
- コードが基本的に変数と制御文でできていることは、ほかの言語と変わらない。ただし、Basicなどではサブルーチン、Visual Basicではプロシージャーといったコードの「くくり」はない。敢えて言えば関数(def)がそれに似ている。
- ライブラリーの機能を使うにはライブラリーをimportすれば、外部関数として使用できる。ただし、ライブラリーの名称または略称(cv2、plt、npなど)を関数の前に付ける必要がある。
- 反復処理をするためのfor文、if文やwhile文などの制御文の末尾には、コロンが必要で、次の行から制御文の範囲の終わりまでは4字の字下げをするだけで、終わりを示すコマンドはない。字下げの字数は同じでないといけない。
- 数字はそのままでは文字として扱われるので、変数aの値を数として使用するにはint(a)のようにして整数化する。逆に数字を文字として出力するにはstr()を使う。
- 関数の内外で同じ変数を使用する場合は、global宣言をするが、変数をdefの前に初期化しておき、global宣言はdef内で行う。予めglobal宣言をするVisual Basicなどとは違うので注意したい。
- 行列にはlist[]とarrey()があって別の機能なので、混在する場合は、お互いに変換する必要がある。
- Visual Basicでのdo文はないので、for文を使う。
- Listの内は、[始めの要素:終わりの要素:インクリメント]となっているが、それぞれ省略が可能で、「始めの要素」を省略すると最初から、「終わりの要素」を省略すると最後まで、「インクリメント」を省略すると、インクリメントは1と解釈される。
- if文やfor文で、「何もしない」コマンドは、passとcontinueがあって、passは「何もしない」、continueは「次のループに進む」の意味になる。ループの外に出るのは、breakを使う。
「Pythonでパルス波形を見る実験」のプログラム例
最初に、計数に必要な検出パルスの最大値やノイズレベルを知り、そもそも検出できているかどうかをモニターするための、パルス波形を見るPythonプログラムを取り上げる。
まず、必要なライブラリーをインポートする。このうち、numpyはPythonのインストールで同時にインストールされるので、ライブラリーとして別途インストールする必要はない。#以下はコメント文である。
import pyaudio #マイク入出力処理 import numpy as np import matplotlib.pyplot as plt #グラフ処理 import cv2 #カメラ画像処理
次に一連の音声入力をストリーミングとして関数化する。CHUNKは入力単位でここでは、1024個ごとにサンプリングする。サンプリング周波数は変えられるが、デフォルトのままにした。録音時間はパルスの描画を考慮して120msecにした。
def streamandshow(): #入力からグラフ描画まで処理 CHUNK = 1024 #入出力の長さ FORMAT = pyaudio.paInt16 #2Byte整数 CHANNELS = 2 #ステレオ RATE = 44100 #サンプリング周波数(Hz) RECORD_SECONDS = 0.12 #録音時間(秒)
ストリーミングをオープンし、CHUNKごとのデータdata-rawをframesというlistに追記していく。
p = pyaudio.PyAudio() stream = p.open(format = FORMAT, channels = CHANNELS, rate = RATE, input = True, #入力のみ frames_per_buffer = CHUNK) frames = [] #空のlistを用意 for i in range(int(RATE* RECORD_SECONDS // CHUNK)): #CHUNK単位で切り捨て data_raw = stream.read(CHUNK) frames.append(data_raw) #追記
framesのデータを2進数に数値化する。
frames_int16 = np.array(frames)
ここでストリームを閉じる。
stream.stop_stream() #ストリームを閉じる
stream.close()
p.terminate()
以下は、パルス波形を描画するための演算で、まず、2進数を10進数に変換し、データは片チャンネルだけでよいので、ステレオのLチャンネルのデータだけを抽出する。さらに、データの最大値を求め、画面に出力する。
data = np.frombuffer(frames_int16, dtype='int16') data_l = data[::2] #ステレオのLチャンネル data_max = max(data_l) #最大値を求める print(data_max) #最大値を画面に出力
グラフの大きさを決め、パルス波形を描画する。描画は0.3秒間だけ保持して、全体の処理を繰り返す。
fig = plt.figure(num = 1, figsize = (6, 4)) #グラフの大きさを決める plt.plot(data_l[100:]) #最初の100点をスキップ plt.pause(0.3) #0.3秒間だけ描画 plt.clf() #グラフを閉じる
プログラムの停止の停止には、キーボードからQを入力する。
while True: #キー入力を待つ if cv2.waitKey(1) & 0xFF == ord('q')#qを入力すると、 break #処理を終了 streamandshow() #処理を反復
PythonはWindows Power ShellやCMDのコマンドラインで実行されるため、Pythonプログラムの一時中断や再開といった手段がない。waitKeyを使うのはカメラの機能だが、利用させてもらった。ウエブカメラを使用していないのに、OpenCVをインポートしたのはそのためである。Pythonが実装されていれば、PythonファイルをダブルクリックすればPythonプログラムが起動する。バグがあったり、プログラムが終了したりすると、CMDなどの窓が閉じてしまうので、バグフィックスにはCMDでPythonファイルを実行させる方が良い。バグがあれば、エラー原因などが表示されている。また、出力が表示されているので、出力を確認するにはこの方が良い。
パルス波高分布のグラフ描画の例を以下に示す。
上のパルス波形を見て、計数の閾値を例えば1000と決めることができる。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(8)その2
(その2)は続編なので、前編がまだの方は前編を先に。
7SEGGM管のPICプログラム(続き)
以下が計数を実行する本体で、まず検出を確認する。信号がONなら、フラッグを立て、再度、信号がONになれば、検出とみなしてフラッグを降ろす。CINI以下は、反復して実施される。
CINI BTFSS PORTA,4 ;RA4がクリアならばMAINへ GOTO CPAS BSF ON,0 ;(ON,0)をセット GOTO MAIN CPAS BTFSS ON,0 ;(ON,0)がクリアならばMAINへ GOTO MAIN
次では、パルスの検出後1msec以内の後続パルスを継続的に排除して、複数パルスによる重複カウントを避ける処理を実行している。
PDOWN ;パルスの立下りを検出 MOVF TMR1H,0 ADDLW 0xF9 BTFSS STATUS,C ;TMR1H=256-7=249=0xF9 GOTO T1CLR MOVF TMR1L,0 ADDLW 0x30 BTFSC STATUS,C ;TMR1L=256-208=48=0x30 GOTO CSTART ;TMR=7*256+208=2000=1msec/(0.125usec*4) T1CLR ;TMR1リスタート CLRF TMR1H CLRF TMR1L MOVLW B'00000001' MOVWF T1CON
ここからが、計数の本体で、まず、計数を8進数で加算し、10進数の各桁に桁上がりを含めて換算する。
CSTART INCF N1,1 ;N1=N1+1 MOVF N1,0 SUBLW 0x0A BTFSS STATUS,Z GOTO NCL CLRF N1 INCF N2,1 ;桁上がり(N2=N2+1) MOVF N2,0 SUBLW 0x0A BTFSS STATUS,Z GOTO NCL CLRF N2 INCF N3,1 ;桁上がり(N3=N3+1) MOVF N3,0 SUBLW 0x0A BTFSS STATUS,Z GOTO NCL CLRF N3 INCF N4,1 ;桁上がり(N4=N4+1) MOVF N4,0 SUBLW 0x0A BTFSS STATUS,Z GOTO NCL CLRF N4 NCL BCF ON,0 ;(ON,0)をクリア GOTO MAIN
以下はサブルーチンで、HFEXでは、ボタンスイッチが押されたときに立てるフラッグのONとOFFを切り替える。LEDOFFでは7セグメントLEDを消灯する。
HFEX BTFSC HF,0 GOTO EX0 BSF HF,0 ;If Hold flag is clear RETURN EX0 BCF HF,0 ;If Hold flag is set RETURN ; LEDOFF CLRF PORTB ;Rev.2 BCF PORTA,0 BCF PORTA,1 BCF PORTA,2 BCF PORTA,3 RETURN
DSPでは7セグメントLEDに数値を表示する。計数のレジスターが改変されないように、レジスターを置き換えて処理をしている。
DSP ;7seg-LED display LX0 MOVF LX,1 BTFSS STATUS,Z GOTO LX1 BTFSC PORTA,0 GOTO LXE MOVF N5,0 MOVWF N CALL SEG MOVWF PORTB BSF PORTA,0 ;RA0点灯(7-SEGがカソードコモンのため、NPNTr使用) GOTO LXE LX1 MOVF LX,0 SUBLW 0x01 BTFSS STATUS,Z GOTO LX2 BTFSC PORTA,1 GOTO LXE MOVF N6,0 MOVWF N CALL SEG MOVWF PORTB BSF PORTA,1 ;RA1点灯(7-SEGがカソードコモンのため、NPNTr使用) GOTO LXE LX2 MOVF LX,0 SUBLW 0x02 BTFSS STATUS,Z GOTO LX3 BTFSC PORTA,2 GOTO LXE MOVF N7,0 MOVWF N CALL SEG MOVWF PORTB BSF PORTA,2 ;RA2点灯(7-SEGがカソードコモンのため、NPNTr使用) GOTO LXE LX3 MOVF LX,0 SUBLW 0x03 BTFSS STATUS,Z GOTO LXE BTFSC PORTA,3 GOTO LXE MOVF N8,0 MOVWF N CALL SEG MOVWF PORTB BSF PORTA,3 ;RA3点灯(7-SEGがカソードコモンのため、NPNTr使用) LXE RETURN
SEGでは、10進数の数値の表示を7セグメントLEDの各セグメントに割り当てている。
SEG ;7SEG変換 MOVF N,1 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01111110' ;0 MOVF N,0 SUBLW 0x01 BTFSC STATUS,Z RETLW B'00110000' ;1 MOVF N,0 SUBLW 0x02 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01101101' ;2 MOVF N,0 SUBLW 0x03 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01111001' ;3 MOVF N,0 SUBLW 0x04 BTFSC STATUS,Z RETLW B'00110011' ;4 MOVF N,0 SUBLW 0x05 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01011011' ;5 MOVF N,0 SUBLW 0x06 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01011111' ;6 MOVF N,0 SUBLW 0x07 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01110000' ;7 MOVF N,0 SUBLW 0x08 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01111111' ;8 MOVF N,0 SUBLW 0x09 BTFSC STATUS,Z RETLW B'01111011' ;9 RETLW B'01001111' ;E ; END
見た目は複雑そうだが、実際は順に実行されるので、演算の流れのイメージは掴みやすい。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(8)その1
自作には工作技術のほかにマイコンやパソコンのプログラミング技術が必要になる。ここでは、7セグメントLED表示の7SEGGM管を例にとってPICマイコンのプログラミングについて解説したい。
必要なもの
マイコンにもいろいろあるが、PICマイコンを使い出した切っ掛けは、たまたま手に取った入門書がPICだったのと、「電子工作の実験室」というサイトの存在が大きい。偉そうに言っても、プログラミングは誰かのパクリから始まる。PICのマニュアルだけでアセンブラーが書けるわけもない。まずは、入門書の例を実際に確認していくことから始まった。その前に、PICを使用するにはプログラムを書き込むライターが必要だ。Microchip社の純正ライターは高いので、秋月電子製の同等品のキットを購入し、はんだ付けして作った。今でも使っていて問題はない。言語については、当時はアセンブラーだけが無料で利用できた。現在はC言語が無料で使用できるが、C言語は使ったことがない、というか、勉強したが、ポインターという考え方が理解できずに挫折した。Microchip社のマニュアルもアセンブラーで使用例が記述されている。
最初は情報館で
PICを使い始めたのは情報館の工作教室だった。何か、中学生に適した工作はないかと考えて思い付いたのはロボットだったが、予算的に実現が難しい。何とか千円程度の部品代で済む工作はないかと考えて、特別にワークショップという枠を設け、PICを使った工作物を展開した。バーサライターといって情報館にも展示物があって振ると文字が見えるという工作を手始めに、ベンハムのコマ、赤外線リモコン、走行モジュール、電子サイコロなどを実施した。これで、かなりプログラミングの腕を上げたと思う。バーサライターこそパクリだったが、ベンハムのコマはモーターの回転制御、赤外線リモコンはパルス制御、電子サイコロは乱数の実現などの課題があった。
7SEGGM管のPICプログラム
「らでぃ」の実験集に掲載しているが、以下に一部を抜粋して解説する。
最初はコンフィギュレーションで始まる。品番と基本的なスイッチの選択を指定する。この部分だけは他の部分と書式が違っている。一般的には、ラベル、命令など、引数など並んでいる。PICは、使い慣れた16F84Aの後発品で機能をアップした16F819を使用した。
INCLUDE "P16F819.INC" LIST P=16F819 __CONFIG _INTRC_IO & _WDT_OFF & _PWRTE_ON & _BODEN_OFF & _MCLR_OFF & _LVP_OFF & _CP_OFF
ここで、MCLRをOFFにしたのは、PICの4番ピンを10秒率への切り替え判定に使用したことによる。
次はファイルレジスタの定義。Nの列は変数で0x20などはメモリー位置を表す。;以下はコメント。
N EQU 0x20 ;Converter to 7seg-LED ON EQU 0x21 ;Pulse detection flag TU EQU 0x22 ;Counter for 1sec-timer WB EQU 0x23 ;Backup of STATUS SB EQU 0x24 ;Reset of W TM EQU 0x25 ;Counter for 10sec-timer LX EQU 0x26 ;Dynamic light-on N1 EQU 0x27 ;10^0 N2 EQU 0x28 ;10^1 N3 EQU 0x29 ;10^2 N4 EQU 0x2A ;10^3 N5 EQU 0x2B ;Holder of N1 N6 EQU 0x2C ;Holder of N2 N7 EQU 0x2D ;Holder of N3 N8 EQU 0x2E ;Holder of N4 HF EQU 0x2F ;Hold Flag
次がプログラムの最初で、実行もここから順に行われる。タイマーTMR0による1秒間を作り出す割込みのための割込み処理を記述している。この1秒ごとのクロックは常時動作している。第2カラムは命令で、確か35ある命令のうち必要なものだけを覚えればよい。数値は、主に2進数か8進数で表示されている。つまり、1から255までの8ビットに相当する数値を表している。
ORG 0 ;リセットベクタ GOTO START ORG 4 ;割込みベクタ BCF INTCON,TMR0IF ;割り込みフラグをクリア MOVWF WB ;Wレジスタ退避 SWAPF STATUS,0 ;STATUS取り出し MOVWF SB ;STATUS退避 BANKSEL TMR0 MOVLW 0xD9 ;カウント値=217(=256-39)を再ロード MOVWF TMR0 INCF TU,1 ;TUレジスタをカウントアップ BCF PORTA,0 ;全消灯 BCF PORTA,1 BCF PORTA,2 BCF PORTA,3 INCF LX,1 ;LXレジスタをカウントアップ MOVF LX,0 ADDLW 0xFC BTFSC STATUS,C ;LX=4ならばリセット(LX=0) CLRF LX SWAPF SB,0 ;STATUS戻し MOVWF STATUS SWAPF WB,1 ;Wレジスタ戻し SWAPF WB,0 RETFIE
次では主にCPUの速度、入出力ポート、タイマーTMR0の時間間隔、計数レジスターなどの初期値を指定しており、最初に1回だけ実行される。
START BANKSEL OSCCON MOVLW B'01110100' ;内部クロック8MHz MOVWF OSCCON BANKSEL ADCON1 MOVLW B'00000110' ;All pins as digital I/O MOVWF ADCON1 BANKSEL TRISA MOVLW B'11110000' ;RA4-RA7を入力ポート、RA0-RA3を出力ポート MOVWF TRISA BANKSEL TRISB MOVLW B'00000000' ;RB0-RB7を出力ポート MOVWF TRISB BANKSEL OPTION_REG MOVLW 0x87 ;256カウントモード指定 MOVWF OPTION_REG ;プリスケーラへ出力 BANKSEL TMR0 MOVLW 0xD9 ;カウント値=217(=256-39) MOVWF TMR0 ;タイマーへ出力 BCF ADCON0,ADON BSF INTCON,TMR0IE ;タイマ割り込み許可 BSF INTCON,GIE ;全体割り込み許可 CLRF N1 ;N1,N2,N3,N4は1位から4位 CLRF N2 CLRF N3 CLRF N4 CLRF N5 ;N5,N6,N7,N8は保持用 CLRF N6 CLRF N7 CLRF N8 CLRF TU CLRF LX CLRF ON CLRF TMR1H CLRF TMR1L BSF HF,0 ;Hold ON
次からが実行の本体で反復して実行される。ここで、まず、1秒率の測定か、10秒率の測定かを判断する。
MAIN BCF INTCON,TMR0IE ;タイマ割り込み禁止 CALL DSP ;7seg-LED display BSF INTCON,TMR0IE ;タイマ割り込み許可 BSF INTCON,GIE ;全体割り込み許可 BTFSS HF,0 ;If Hold Flag is set CALL LEDOFF ;If Hold Flag is clear BTFSS PORTA,5 ;Sellect SW GOTO SEL10 ;Sellect SW is clear
7セグメントLEDは起動とともに1秒率の表示で始まって、計数ブロックのCINIで計数し、1秒ごとに表示、1秒間保持をする。
SEL1 ;Sellect SW is set(count/1sec) BSF HF,0 MOVF TU,0 ;TUレジスタが200でリセット(5msec*200=1sec) ADDLW 0x38 ;256-200=56=0x38 BTFSS STATUS,C GOTO CINI ;Counting CLRF TU MOVF N1,0 ;計数保持 MOVWF N5 MOVF N2,0 MOVWF N6 MOVF N3,0 MOVWF N7 MOVF N4,0 MOVWF N8 CLRF N1 CLRF N2 CLRF N3 CLRF N4 GOTO MAIN
ボタンスイッチを押すと10秒率の表示に切り替わる。CINIで計数すると同時に、サブルーチンHFEXが呼ばれて10秒率のフラッグがONであることを確認し、7セグメントLEDにカウントダウンが表示される。10秒経つと10秒間のカウント数が表示され、次にボタンスイッチが押されるまで表示が保持される。
SEL10 MOVF TU,0 ;TUレジスタが200でリセット(5msec*200=1sec) ADDLW 0x38 ;256-200=56=0x38 BTFSS STATUS,C GOTO CINI CALL HFEX CLRF TU INCF TM,1 ;TM=TM+1(sec) MOVF TM,0 ADDLW 0xF6 ;256-10=246=0xF6 BTFSS STATUS,C GOTO CINI CLRF TU CLRF TM
以下が10秒率の表示になる。
SELX ;10sec毎に表示 MOVF N1,0 ;計数保持 MOVWF N5 MOVF N2,0 MOVWF N6 MOVF N3,0 MOVWF N7 MOVF N4,0 MOVWF N8 CLRF N1 CLRF N2 CLRF N3 CLRF N4 GOTO MAIN
以下は、教育用GM管開発を振り返って(8)(その2)に続く。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(7)
自作できることを基本的なコンセプトとして、開発を進めてきた。ここでは、標準型GM管を例にとって、自作の心構えやスキルについて話してみたい。
必要なもの
元より高価な測定器などは使用していない。最小限必要な計測器でも、たかだか1万円台である。しかし、買い溜めた工具類は、1点数千円でも総額は計り知れない。以下は、クリアケースGM管と高電圧電源の製作に必要な工具類で、「らでぃ」の実験集にも掲載されているが、これだけの工具を一度に揃える必要がある。ただし、*印が付いた工具は、手間を省くための工具なのでなくても構わない。
- 可変速電動ドリル*
- ピン・バイス
- ドリル刃(φ1.5、φ2.5、φ3.0、φ3.2)
- リーマー
- スパイラル・ドリル刃*
- 面取りドリル刃*
- ドライバー
- 組みスパナ
- はんだごて
- はんだ吸い取り器
- はんだごてスタンド
- 電圧調整器
- ラジオペンチ
- ニッパー
- ピンセット
- ブラシ
- やすり
- クリップ
- 木片
- マーカー
- ワイヤーストリッパー
- はさみ
- カッター
- カッティング・マット
- 定規
- ケース用ゲージ*
- GM管用ゲージ*
- 穴あけポンチ(φ2)
- 金づち
- マット
このほかに、完成後の動作不良などの対応には、主に導通や電圧を測定するために、テスターまたはデジタルマルチメーターが必要になる。*印が付いた工具は、5台とか10台など製作数が多い場合に労力を減らすための工具なので、体力や筋力に自信があったり、1日に何台も製作しなかったりする場合はなくてもよいが、あると楽に作業ができる。
製作にあたっては、当然、部品が必要になる。同じ例では、以下のような部品を購入する必要がある。秋葉原の各店の通販で購入したが、必ずしも1店では揃わない。
- (1)小型ボリューム 5KΩB
- (2)テストピンジャック(黒)
- (3)テストピンジャック(赤)
- (4)5mm赤色LED ESL-R5A33ARCN114
- (5)トランジスタ 2SC2120-Y 35V800mA
- (6)006Pアルカリ電池 9V
鈴商
- (1)タカチ電機工業 PB型プラケース PB-2
- (2)スライドSW(3P・中) 19-3P
- (3)サトーパーツ ラグ板2列×5P L-3522-5P
- (4)マル信無線電機 RCAプラグ(黄)MR-568M 黄
- (5)RCAジャック(カラーリング付き、黄)
- (6)ビス 真鍮 ナベ 2×5mm 100個入
- (7)電池スナップ(スケルトンタイプ)120mm I-120
- (8)goot 精密プリント基板用ハンダ SD-62
- (9)セラミックイヤホン(プラグなし)
- (10)耐熱電子ワイヤー UL3265-24 L-10 赤
- (11)耐熱電子ワイヤー UL3265-24 L-10 黒
そのほかにも、小物があって、
モノタロウ
別途購入
- 高圧電源基板 @200×100
- 被覆電線 0.75mm2 20mm×100
- 熱収縮チューブ φ3.0 10mm×100
- 熱収縮チューブ φ1.0 10mm×100
- ピン針 ×100
- 黒画用紙 50mm×170mm×100
- シール 赤・丸 φ5×200
- シール 黒・丸 φ5×200
- 両面テープ マット 15mm×7mm×200
- 両面テープ プラスチック用 15mm×30mm×100
- アルミテープ 75mm/10×60mm×100
- 金属シール 10mm×20mm×200
これらの小物は、秋葉原の店舗で見て購入したり、近くのホームセンターや文具店で購入したりしたものである。
これだけの、購入品のリストを作り、どの店にあるかを調べて発注するだけでもかなりの労力と時間を要する。当然、それ以前に、開発の構想があり、回路図や設計図の作成があり、といってもポンチ絵しか描いたことはないが、試作があり、必要に応じて改良があり、等々のプロセスがあるが、実はそれ自体が、いわば自作の醍醐味である。自作は出来上がってしまえば、それを使用するか、飾っておくか、誰かに譲るか、しか選択肢がない。これを見て、萎えるようなら自作などやらない方が良い。挑戦心が湧いてくるようなら、見込みはある。
工具には取り扱いによってはケガをするものもあり、緊張感をもって作業する必要がある。当然、手作業なので出来栄えにも考慮しなければならない。できるだけ美しく作るのも自作の楽しみの一つと思う。電子回路には、はんだ付けが必須の作業である。まず、きれいにはんだ付けができないといけない。でないと、トラブルに悩まされるうえに、修復にも手間がかかる。自作では、ユニバーサル基板という2.54mmピッチの基板のホールにはんだ付けするが、かなり細かい作業になる。慣れればともかく、最初はかなり窮屈に見える。実際、注意しないと、隣のホールにはんだがつながってしまう。はんだごての選定も重要で、こて先の細い方が細かい作業に向いているような気がするが、熱量が小さいのではんだが溶けにくい。はんだも工業製品では無鉛はんだ使用が常識だが、無鉛はんだは融点が高いので、はんだ付けに失敗したときの修復が難しい。自作では有鉛はんだの方が無難と思う。言うまでもないが、はんだごてによる火傷には注意したい。はんだ付けの作業には、こて台についているスポンジを頻繁に使った方がよい。予めスポンジには水を浸して軽く絞っておくが、こて先をきれいにするとともにこて先の過熱を防ぐ効果がある。ユニバーサル基板では、プリント基板と違って配線は自分で自由にできるが、配線の多重交差はできるだけ避けたい。後で、不具合があったときに、はんだ付けが原因でも、怪しい個所にアクセスしにくくなるうえ、修復の際に配線を一旦外して再度はんだ付けする個所が増えてしまう。
図で見る通り、高圧電源の電子回路は冷陰極放電管用の高圧ユニットをジャンク品で使用しているだけで、ユニバーサル基板はない。倍電圧整流回路は10Pラグ板上に組んでいるので、この場合はむしろワット数の大きいはんだごてを使用した方が良い。話しが後先になるが、この冷陰極放電管用の高圧ユニットはジャンク品なので、現在は手に入らないと思う。鈴商で購入したものだが、鈴商は営業を続けているので、問い合わせて在庫があれば手に入るかもしれない。ほかに、冷陰極放電管用の高圧ユニットの代品を探す手もある。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
教育用GM管開発を振り返って(6)
自作GM管の代表格である「大気圧空気GM管」は「空気GM管」とも称される。なぜ、ここで「空気」を取って「大気圧GM管」としたかなど、本質的な話題について語ります。
大気圧GM管のポイント
開発の初期に、管のサイズや、アノード、カソード、ガス組成などをパラメーターとした実験を行い、候補を絞り込んだ。その結果が、クリアケースGM管になり、塩ビ管を容器とする密閉型のGM管に至っている。現在は、さらに簡素化して、密閉型GM管のガス注入ノズルを排して、半密閉にするという改良を進めている。半密閉というのは、注入孔に蓋を接着するが、必要に応じて蓋を剥がしてブタンを再注入できるというもの。自作なのでGM管の性能が所定の基準に満たない場合がある。その場合に、必要に応じて内部パーツやガスを交換できるようにしておけば、再生が可能になる。ガス交換を例に挙げたが、アノードを交換する場合は、端窓を一旦剥がし、交換後に修復する。実は、塩ビの容器と天板の加工にもっとも手間がかかるので、これらが再利用できれば残りの手間は少ない、というのがその理由である。この改良した密閉型GM管は最近のテストでは、1ヵ月以上もほぼ性能を維持しているが、今後、テストを継続して性能の維持期間を見極める。
改めて強調するが、「大気圧GM管」の基本的構成要素は、二つ折りで先端フープのアノード、線材はステンレス鋼、黒画用紙のカソード、充填ガスは10%程度のブタン+空気、の3点である。これらは、クリアケースGM管で確立し、密閉型GM管でも継承されている。外部構造としての、高電圧電源との接続を露出部のないプラグイン方式も一貫して採用している。エビデンスは「らでぃ」の実験集に載せたので、以下ではポイントについて解説する。
アノードについては、基本的に米村式の二つ折りアノードを採用している。電界解析でも、通常の円筒形GM管のような全長の単線アノードよりも、中間長のアノードの方が先端部での電界強度が大きいことが分かっているが、実験結果でもその傾向は支持されている。一般的には線材は細い方が、より電界強度が高くなる。つまり、動作電圧が低くなって有利に働く。しかし、先端部にフープがある場合は違う結果となる。要するに、先端フープがあることで線径の効果が打ち消される一方、先端部での電界強度が効果的に効いてくる。先端フープの径をパラメーターとすると、径が小さいほど電界強度は大きくなるが、極端に小さい、例えばフープなしにすると、放電が不安定になり、プラトー領域も極端に狭くなる。したがって、最適なフープ径は2mm程度と考えている。実はステンレス鋼をアノードに加工する場合、先端フープを径2mmに仕上げるのは工具なしでは難しい。ではどうするか。二つ折りにした他端をラジオペンチで挟んで、指でよじり、ある程度の径になったら、楊枝の先を使って2mmに仕上げることができる。アノードの先端には工具で傷を付けたくない。ステンレス鋼を使用する理由は前にも書いたが、銅線に比べて汚れが付きにくく、酸化しにくいことにある。白金線ならば加工はしやすいと思うが、極めて高価で自作には向かない。ステンレス鋼の線径は、0.23mmを継続的に採用しているが、知る限り、ホームセンターなどで入手できる最小の線径である。アノード・ユニットはピンに刺すだけという形状の特徴があって、交換が容易なように配慮している。
初期の「大気圧空気GM管」のカソードは、ただ紙製としか書いていないが、白画用紙と考えられる。黒画用紙にしたのは、仲間内の情報からで、紙に墨汁を塗って乾かすとカソードに使えるというものだった。あるいは、コピーの印刷面でもよいという情報もあった。黒画用紙にしたのは、カーボンが含まれているからで、導電性があると考えていた。実際、長方形のカソードの形状で、その両端をそれぞれクリップで挟み、その間の抵抗値を測ると、100kΩから400kΩであった。実際に実験すると、この範囲ではそれほどプラトー特性に違いはない。しかし、あるとき、別の黒画用紙を買ってきて同様にして抵抗値を測ると、無限大になっていた。どうも炭素を含まない黒画用紙もあるようで、よく見るとやや緑がかっていた。それ以来、黒画用紙を買った後は、必ず抵抗値を測定するようにしている。実は、白画用紙でもプラトー領域が高電圧側にシフトし、やや計数値が低下するが、測定できなくはない。カソードの導電率が影響しているとすると、金属カソードの方が有利に思える。ではなぜ、黒画用紙なのか。金属カソードは、アルミと銅とステンレス鋼を比較したが、どれも大きな違いはない。銅は酸化や汚れに弱いので使いにくい。ステンレス鋼は硬すぎる。使うとするとアルミなので、黒画用紙と比べてみると、少なくともプラトー領域や計数率の面で黒画用紙が劣っている訳ではないことが分かった。また、黒画用紙の利点は、γ線に対して感度が低い点にもある。GM管をβ線検出器として利用したい場合、γ線が少ないほどよい。距離の実験ではγ線はβ線と込みで考えればよいが、遮へいの実験ではバックグラウンドとして効いてくるので、少ない方が好ましい。金属カソードの難点の一つは、傷が付きやすく異常放電の原因となることである。その点、黒画用紙なら何も気にすることはない。ついでに言えば、黒画用紙は金属カソードよりも圧倒的に安く、自作には適している。
「空気GM管」でないのは何故か
最初の矢野先生の「空気GM管」は、まさに空気だけだった。その後、米村先生がライターガスを消滅ガスとして添加した。ライターガスは、一般的にはブタンが主成分で、プロパンが入っているものもある。ガス自体は液化石油ガスというカテゴリーにあって、ブタン濃度が高いほど高級とされる。初期の「大気圧空気GM管」はほとんどライターから直接GM管内にガスを注入している。ガスの濃度の記述はない。道具なしで定量のガスを注入するのは極めて難しい。そこでシリンジを使うことにした。これならば定量のガスを注入できるので、厳密ではないがある程度ガス濃度のコントロールができる。その後に分かったことだが、多少濃度が変わっても、それほど性能には影響がない。これまでの失敗例を聞くと、ライターの選定だったり、ガスの注入量が適当だったりしたことが原因と思われる。
現在、使用しているのは高純度ブタンという表示のあるライター充填用のガスボンベで、プロパンの混入は極めて少ない。断っておくが、カセット式のガスコンロにつかうブタンガスもGM管には使える。ただし、ガス漏れを防ぐための悪臭がある。プロパンは試していないので、使えるかどうかは分からない。パラメーター実験では、10%から50%の範囲でブタン濃度の上昇とともにGM管の動作電圧が線形で上昇した。10%を選択したのはこの結果を受けたもので、さらにブタン濃度を減らせばより動作電圧としては有利になると思ったが、濃度のコントロールが難しくなるので止めた。
オシロスコープ観察からは、ブタン濃度が増えると複数パルスの発生が減少するので、消滅ガスとしての作用は認められる。しかし、容量%でブタン濃度50%となると、重量%ではブタンの方が多くなる。10%ブタンならともかく、50%ブタンにもなると、さすがに「空気GM管」なのか迷うところだ。その後、0%ブタンつまり100%空気から、100%ブタンまでブタン濃度をパラメーターとするオシロスコープ観察でパルスの数を数えて計数に換算した。その結果、0%ブタンでも100%ブタンでも計数は可能で、動作電圧の最小値は2%から5%ブタンであった。ブタン濃度度が増えると、ほぼ直線的に動作電圧が上昇し、0%ブタンでは極めて高い動作電圧となることなどが分かった。100%ブタンとなると、もはや「空気GM管」ではあり得ない。その中間も空気が主な電離気体なのか疑わしい。というのは、空気もブタンも同程度の電離電圧なので、どちらも電離気体の候補になる。消滅ガスの役割は炭化水素であるブタンのものだが、電離気体がどちらなのか、あるいは両方なのかは分からない。5%前後で動作電圧が最低になるのも、何か理由があるはずだが調べても分からない。
このように考えて、「空気GM管」とは呼ばずに、「大気圧GM管」と呼ぶことにした次第。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
余談(2)
ココログ「科学館員の独り言」に載せた[番外編]我が家のコウモリ”フン”戦記をダイジェストで紹介する。まったく個人的な話しだが、コウモリの生態については分からないことも多く、とくに家の屋根裏に住み着いたケースの詳細な観察記録は見当たらない。面白いかどうかは皆さんで判断してください。
序章
2008年の暮れにかけて、築25年が目前の我が家のリフォーム工事をする羽目になった。そのきっかけは、梅雨明けの頃、10分間雨量で10数mmという豪雨があって、我が家でも雨漏りの被害が出たこと。それが屋根の雨漏り修理に止まらず、いつのまにか屋根を軽くして耐震性を改善したい、内外装の劣化を回復することでの耐震性の確保へと話が広がって、大工事になってしまった。
実は、以前から屋根や壁に手を付けるなら、やりたいことが別にもあった。それは、我が家のコウモリ対策だった。リフォーム工事をやったお蔭で、屋根や壁を壊さないと分からない、イエコウモリの生態の一端を知る機会となった。折角の経験なので、その顛末をご紹介したい。
我が家は千葉県市川市の北東部にあり、都心から約30分という便利な立地ながら、周辺には市街化調整区域が広がって、近くの調整池では、マガモや、カルガモ、カワウ、コサギ、アオサギ、バン、オオバン、カイツブリなどを見ることができる。冬には、ユリカモメや、コガモ、オナガガモ、ヨシガモなども加わって賑やかになる。季節によってはカワセミも顔を見せ、望遠カメラが並ぶ風景もしばしば見られる。夏はツバメが飛来する。
ツバメは、夕方、ねぐらとなる葦原に集まる習性があり、ねぐらに入る前には、集団で空を乱舞する。日が暮れ始めて、あたりが暗くなるころ、次々と葦原に下りて、ねぐらに入る。その頃、代わって空を飛び始めるものがいる。最初はツバメにしては飛び方が変だし、何だろうと思っていたが、それがコウモリだと知った。この辺ではユスリカをたくさん見る。11月でも、暖かい日が続くと蚊柱が立つ。ツバメやコウモリの餌になるユスリカがとくに多いのかもしれない。また、この辺は瓦屋根でモルタル塗り壁の従来工法の家屋が多く、コウモリが棲む場所を得やすい可能性もある。コウモリは以前からいたのかもしれないが、我が家で夜中に壁や天井裏で物音がするようになったのは、この頃からだった。
我が家の屋根も、寄せ棟造りの瓦屋根で、洋風のS字瓦が載っていた。S字瓦の一部は内径が10cmほどの半円形の空洞になっている。瓦の軒側の端部は「面戸」というプラスチック板でふさがれているが、施工が悪かったり、瓦がずれていたりすると、瓦の空洞の中に入り込むことができるので、我が家の軒先はスズメには格好の巣場所となっていた。さらに、これもいつからか、止めてある車の屋根や、軒下の特定の部分に小さな黒いフンが目に付くようになった。ネズミのフンよりは小さく、鳥のフンとも違う。実はそれがコウモリのフンだった。夕方、意識して空を見上げると、相当な数のコウモリが飛び交っていて、我が家でも何度か、開いた窓から侵入されたことがある。そこで、我が家の例の安眠妨害も、フン害も、コウモリが原因かもしれないと思ってネットで調べると、「コウモリは、1.5cmの隙間があれば入る。」とあるが、S字瓦の下ならばともかく、屋根裏に入れそうな隙間は見当たらなかった。
雨漏りの後、漏洩場所を特定するために屋根裏を点検したついでに、屋根裏にコウモリがいる形跡がないか調べてみた。天井裏の断熱材の上を点検すると、たった1ヶ所だけ、数個のフンが見付かった。念のため、何ヶ所か断熱材の下をのぞいてみたが、形跡はない。このことから、少なくともコウモリが屋根裏に侵入したことはあるが、棲息はしていないと判断できた。ただ、屋根裏は低く、外壁と内壁の間の部分までは点検できない。以前から、夜中にガサガサと物音がするのは、外壁に面した押入れの壁と、天袋の天井、隣接する京壁の上部で、いずれも壁の中と思われた。室内側から壁をドンドンと叩いても、ネズミと違って、すぐに静かにならないのが不思議だった。しばらくガサガサという音が続き、そのうちに静かになる。最初に疑ったのは、軒先の鳥の巣です。鳥が音を立てているのかもしれないと思ったが、夜中の2時、3時ではやや不自然だ。
10月になってリフォーム工事の内容が固まり、着工は10月末と決まった。コウモリ対策も特記事項として工事内容に記載されていた。しかし、水周りの内部工事から始まるので、屋根工事は11月中旬から。そこで気になったのは、コウモリの冬眠期間だった。ネットでは、11月中旬から3月中下旬までは冬眠するという話なので、屋根工事が完了すると屋根裏には決して入れなくなる。コウモリをすべて追い出してからでないと、逆に閉じ込めてしまうことになる。工事が始まっても、冬眠中であれば、出て行かないかもしれない、いや、危険を感じたら、冬眠中でも逃げるだろう、とか、議論をしたが、結論は出なかった。そこで、先ずは、我が家にコウモリが棲みついているとすれば、何匹いて、出入口はどこなのかを探ることした。
コウモリを探索
出入口の見当は付いていた。例のフンがよく見付かるのが、北側の屋根の両端部でケラバと呼ばれる部分の真下だった。ケラバは屋根の端部にあって、他の瓦とは違って下向きに折れている。下の写真の下屋根の端部がケラバで、ケラバでは瓦の一部が重なって、瓦1枚ごとに、瓦の厚さ(約2cm)×瓦が重ならない部分の長さ(約20cm)の三角形の隙間が下方に開いている。
ケラバは北側に2ヶ所あって、東側の真下の地面と、西側の真下に当たる1階の屋根の上にフンがあった。さらに、この北側の出っ張りは、物音がした1間半の押入れ+物入れと天袋の部分に一致する。結局、日没後、屋根が見通せる道路に出て、カウンターを片手に目視で数えることにした。
観察の1例をあげると、北東部のケラバでは、10月9日には17:30以降、暗くなるまでに14匹をカウントし、うち数匹はケラバではない屋根の軒先から飛び立っていた。10月11日には同様に20匹をカウントし、うち2匹はケラバに続く大屋根の軒先から、1匹は手前の大屋根の軒先から飛び立った。ケラバは3枚の瓦で構成されていて、それぞれの隙間から、5分ほどの短時間に10数匹が次々と飛び出して行った。暗くなりかけた空を見上げていると、隣の家の屋根からも出て行くのが見え、近隣の家にもコウモリが棲息していることが分かる。ケラバには、瓦の重なりに応じた隙間があるので、コウモリが出入しても意外ではないが、大屋根の軒先からも飛び立ったのは想定外だった。
屋根工事が始まった
内装工事がやや遅れ、予定より遅れて屋根工事が始まったのは11月中旬で、まだ、暖かい日の夕方には、コウモリの飛ぶ姿が見られた。しかし、1階の屋根から始まって、2階の大屋根の工事が始まる頃には、急に寒くなってコウモリも飛ばなくなっていたようだ。大屋根の瓦の撤去中に、瓦の下の土の中からコウモリが1匹飛び出したとのことで、結局、瓦の下にいたのはこの1匹だけだったが、北側の屋根の出っ張り部分では、瓦の下から大量のフンが出てきた。ちょうど、コウモリが出て行くのを観察した北東側のケラバだった。しかも、ケラバの空洞に止まらず、桟木に沿って横に広がっていた。
横に広がるのは不可解だったが、よく見ると、S字瓦は野地板に張った防水ルーフィングに接しているわけではなく、桟木の高さだけ浮いていることが分かった。桟木の高さは1.5cmあるので、それだけの隙間があれば、コウモリが入り込めるのは納得できる。フンの量は入口から遠いほど減っていて、水が浸入する場所ではないので、フンは不潔感もなく、そのままの形状を止めていた。どれくらいの期間の蓄積なのかは分らないが、量としては建築廃材用のゴミ袋に2、3袋もあった。
この段階では、屋根裏への侵入口は見付からず、屋根裏への侵入は無理ではないかと考えていたが、念のために野地板の一部を剥してみると、そこにも大量のフンが見付かった。
よく見ると、我が家では軒先の破風板が傾斜しているため、ケラバでもその延長で破風板が傾斜していて、ケラバで野地板を打ち付けてある垂木と、その破風板の間に、手先が入るほどの幅で約半間の長さに楔形の隙間が見付かった。
押入れと天袋と物入れを解体
それからが大変だった。押入れの奥にコウモリがいる可能性があるので、屋根からの出入ができなくなる前にそのコウモリを救出するために、急遽、北側の屋根の出っ張り部分にある、押入れ+物入れと天袋を解体して、復旧することにした。追加工事の着工は12月上旬で、既にコウモリの冬眠時期だが、冬眠中でもコウモリが目を覚ますことを期待して、解体を始めた。
押入れの内壁を剥すと、やはりフンがあった。外壁と内壁の約10cmの間で、厚さ5cmの断熱材のない空間を通って、押入れの下部まで到達したようだ。
断熱材を剥すと、外壁の内面には板が横方向にスノコ状に張ってあって、その板の上端や斜めの筋交いにはフンが積もっていた。ところどころ、フンが富士山のように盛り上がっていて、そこでは同じ場所で繰り返してフンをしていたようだ。天袋の天井裏も、側面の壁の中も状況は同じだった。天袋の天井裏だけは、なぜか断熱材がなく、コウモリは自由に行き来できたようで、その空間を経由して、上部が露出している外壁と内壁の間に入り込んだと思われる。
結局、初日の押入れの解体中には、コウモリは出てこなかった。出てきたのはゴキブリが3匹だけ。拍子抜けして、コウモリは既に退散したと安易に判断したのも当然。ところが、初日には、押入れの解体に先立って、畳と建具をすべて運び出している。したがって、もしコウモリがいれば、2階の屋根裏から1階の天井裏までが出入自由で、戸のない部屋から出て、家中のどこにでも行ける状況が、まる2日間続いたことになる。しかし、こちらにはコウモリに対する警戒感はまったく残っていなかった。びっくりさせられたのは、2日目の夜のことだった。
2日目の夜、夕飯が終わってそろそろ寝ようとして2階に上がったとき、階段の正面に当たる2階の壁に真っ黒な物体が張り付いているのを見付けた。
2階の壁は、貼り替えたばかりビニール・クロスで、表面には凹凸がある。よく写真で見る洞窟コウモリのように逆さまではなく、頭を上にして、両手(かな?)と両足の爪で、壁の凹凸をつかんでいるようだ。一見してコウモリと分かったが、さてどうするか。元のところに戻られても困るので、外に追い出そうと思って、先ず窓を開け放ち、ほうきと塵取りを持って、追い出しにかかった。追い出すつもりで、上から下にほうきで払えば飛んで逃げると思ってやってみると、そのまま、バッタリと下に落ちてしまった。ヒラヒラとではなく、バッタリと。廊下に落ちて、何やら鳴き声を立てていた。チーチーと言う感じだったが、悲鳴のようには聞こえず、何だか寝ぼけたような声だった。どうも壁に止まって寝ていたようで、起きてこない。仕方がないので、ほうきで掃いて塵取りに移し、そのまま、窓から外の仮設足場の上に置いてみた。仮設足場の上でも、逃げる様子はなく、椎茸の笠くらいの大きさで、丸く、ぺったんこになっていた。どうしようもないので、そのまま窓を閉めた。12月の中旬で外は寒く、大丈夫なのか気になるところだが、心配するほどのことはなく、翌朝、窓を開けてみるといなくなっていた。
結局、この時期にはコウモリは冬眠しているらしく、熟睡していた1匹が遅れて出てきたのではないか、と、そのときは考えた。3日目で押入れと天袋の復旧が終わり、2階の屋根裏との開口部はなくなった。これまでの経緯から見て、屋根裏にコウモリがいたとしても、既に逃げ出したか、逃げ出し損ねたにしても解体した部分にはいなかったので、どこか、屋根裏で別の外壁と内壁の間に逃げ込んでいる可能性はあるが、屋根裏以外にはもう出ることができない状況になっていた。まさか、2匹目がいるとは思いもしなかったが、いた。それも、まったく考えられないところに、潜んでいた。
押入れの解体・復旧を始めてから4日目の朝、既に押入れは復旧していて、京壁の塗り直しの前工程である京壁の剥しが予定されていた。朝食を終えて、コーヒーメーカーに水を入れようとしてシステム・キッチンのコックから水を流し出したとき、排水口の蓋の切込みからせり出してきた物体があった。小型の動物の頭と両手だった。キッチンなので、最初はネズミかと思ったが、両手の形が違うので、すぐにコウモリだと気が付いた。これには正直、驚いた。よりによって排水口の中とは。
あわてて手近に合ったゴミ袋を被せて、コウモリをゴミ袋の中にいれ、そのまま外に出て、近くの草むらに放してやった。しかし、水を被っていて、濡れネズミならぬ、濡れコウモリだったので、飛べないようだった。草にしがみついていて、しばらく見ていてもじっとしたままだった。結局、そのままにして家に戻った。
シンクの排水口は、直径が約11cm、深さが約13cmの円筒形で、排水口の蓋は、プラスチック製で、半分は平ら、半分は半球形にくぼんでいて、中央部に半円形で最大高さ約4cmの開口部があるタイプに変えていた。
コウモリは、何とかせり出してきたものの、出ることはできなかったようで、シンクには朝から何度も水を流していたが、そのときまで気が付かなかった。多分、夜間に排水口に入り込んでいたが、コウモリの身長では排水口の底から立ち上がっても、蓋の口までは約9cmあって届かない。水に驚いて、パンチング孔を足がかりにして、あわててよじ登ってきたものの、頭を出すまでには時間がかかったということではないだろうか。また、プラスチックの蓋はつるつるしているので、爪でつかまることができず、飛ぶこともできずに、逃げ出すことができなかったものと思われる。排水口が一種のコウモリ・トラップとして機能したわけだ。後で見に行くと、草むらのコウモリはいなくなっていた。
以上、我が家のリフォーム工事で分かったイエコウモリの生態の一端を、ダイジェスト版で紹介した。より詳細は、ココログ「科学館員の独り言」に掲載してある。
(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)
科学館ボランティア考
情報館を止めた後で
2007年12月に情報館が閉館した後は、これまでに情報館で実施した実験教室やちょこっとサイエンスの技術継承のための活動記録を、財団の許可を得てブログやウエブで公開することになった。ブログは、ココログの「科学館員の独り言」としてアップし、同じ内容を開設したホームページにも掲載した。書き溜めていた原稿を、一気にアップしたので、ブログの連載は1か月ほどで終わった。
何か科学館での経験を生かしてできることはないかと考えて、科学館のボランティアをしてみようと思って、機会を待っていた。手始めに、上野の科学博物館はどうかと考えたが、調べてみると募集時期があって、それが間近に迫っていた。応募してみると、面接があった。面接担当が情報館を知っていたせいか、ボランティアに合格した。結構厳しいものだ。交通費は実費支給なので、応募する人も多いのだろう。活動は、主に館内の説明要員で、驚くことに科博のスタッフはほとんど説明には出ていない。日に何回か館内を回るだけのようだった。つまり、科博で説明を担当しているのは主にボランティアだった。館内に体験型の科学遊具の広場があって、そこでは主に説明と指導を担当するが、監視員の役目もあった。ボランティアは、出勤すると割り当てられているシフトで活動することになる。シフトは予め決められているだけに、休みを取りづらい。かなり窮屈な感じを受けた。ボランティアはそれなりの方々と見受けられ、長くボランティアを続けている方もいるようだった。シフトは機械的に割り当てられるので、得意でない場所の担当となることも多い。また、場所によって来館者が多いところと少ないところがあった。多いところでは結構忙しい。とくに、科学遊具の広場は賑わっていた。
ところが、ふと、ここは何をするところだろうかという疑問がわいてきた。科学分野ではあるが、博物館なので基本的には過去のものを展示する。科博は研究部門が別にあって、業績も優れている。しかし、どこも同じだが、監督官庁の予算削減や効果測定としての来館者数の縛りは厳しく、科博も例外ではなかった。そのプレッシャーはボランティアにも伝わってくる。ボランティアといえども勤勉が求められている感じがした。何となく堅苦しく、息苦しい。居場所として適切だろうかと考えているうちに、ここには「未来」という言葉がないということに気がついた。立派なパンフレットはあるが、開いてみると隅から隅まで見ても、「未来」という文字はなかった。結局、ここは何となく自分には合っていないのではと思って、早々に止めてしまった。未来志向が信条だったので。ただ、今になって考えると、初めての科学館ボランティアで、縛りの多いことに嫌気がさしたのかもしてない。ボランティアだから自由にできるかと思ったら、そうではなかったし、役割も期待したようなものではなかった。ボランティア志望者にはいろいろな経歴や能力を持った方々がいると思う。本来は自由意志による善意の参加なのだから、活動内容の希望ができ、選択ができることが望ましいが、画一的だった。そこまでの対応は難しいだろうとは思うが、もう少し幅があっても良いように思う。科博が悪いのではなく、あくまでも本人のわがままだった。
次はどこにするか
いろいろ考えても、家から1時間程度で通える国公立の科学館は4館しかない。科学博物館、日本未来科学館、千葉市科学館、そして市内にある千葉県立現代産業技術館の4館。たまたま、千葉市科学館のボランティア募集が目に着いたので、応募した。面接と書類審査だけだった。ここは、交通費の実費ではなく、一律1000円が支給される。つまり、交通費でもよく、昼食費でもよく、はたまた、小遣いでもよい。ということで、近隣から徒歩や自転車で通う、小遣い目当ても少なからずいた。当然、ボランティアといってもレベルはばらばらで、女性も多かったが、ある程度は科学に関心があり、知識も持った方々だとは思う。
朝、ミーティングがあり、受け持ちのフロアが決まる。毎日数回の定時に、ごく小規模の工作イベントがあって、その受付と実施も活動の一つだった。指導者役はお互いに決めるので、回ってくることも多い。互選なので、断ることもできるが、積極的に立候補する人もいる。この活動だけがいわば義務で、そのほかの時間は自由に受け持ちフロアにいればよかった。この館は、学校連携がコンセプトなのか、学校で習うような原理・現象を多く展示物で再現している。実際、学校の団体が毎日のように見学に来ていた。体験型の展示物ばかりで、なかなかこれだけ多くの展示物を集めている科学館はほかにないように思う。自由な時間が多く、来館者が少ないときは暇を持て余すが、図書室などはないため暇をつぶせる場所がなかった。ときどき、併設のプラネタリウムの来場者の整理・誘導がある。入場時だけで、時間は決まっていた。もとより、客寄せの施設なのでいつも賑わっていた。ここでは、スタッフもフロアに出る機会が多く、ボランティアだけが目立つという訳でもなかった。当時、新しい市長が、設立のコンセプトとは異なる、大人の来館も増やすようにという方針を打ち出した。展示物そのものは、変えようもなく、特別展示として、夏休みなどに開催していたイベントを大人も意識したテーマに変えたりしていた。新宿の情報館は入場無料だったので、大人の利用も多かったが、有料の場合は余程魅力がないと難しい。その後どうなったかは知らない。
比較的自由なので、ここは長く通ったが、結局は辞めた。辞めた理由の一つはスタッフとケンカしたこと。あるとき、錯視をテーマにした小イベントで、スタッフの一人が、錯視を目の錯覚というのは間違いだ、と言った。厳密に言えばその通りで、錯視も脳の働きであって目ではない。しかし、書物も含めて、錯視は目の錯覚と言っているというと、それは間違っていると言ってのけた。その傲慢な態度に腹を立てて喧嘩になりそうになったが、スタッフの一人が静止して収まった。それ以来、会うのが気まずくなった。このスタッフだけはとくに高慢な態度が目に付いて、ボランティアを見下しているように見えた。結局、ここもボランティアは最低の仕事をさせられている、という虚しさが募った。辞めたもう一つの理由は、やはり長くいるボランティアが幅を利かせ、一種の階層化というか、ボランティア同士が楽しく活動するといった雰囲気を乱す人がいた。どこでもそうなのだろうとは思う。結局、ここも辞めてしまった。たまたま、家のリフォーム工事と重なったこともあって。
近場を覗いてみた
市内に県立の現代産業技術館がある。車で行けば20分程度。駐車場は有料だが、ボランティアになれば活動の際は無料になる。ただ、ボランティアの募集は見当たらなかった。そこで、突撃で来館して、ボランティア担当に直談判した。情報館の経歴を説明すると、ボランティアではもったいないと言われたが、スタッフの技術員はまた役割が違う。ボランティアは、適時開催される工作教室の補助指導員や併設するプラネタリウムの誘導・整理員だった。この館は、千葉県内の企業の協賛で、1階のフロアには多くの大型展示物が設置されていて、子供にも人気があった。2階のフロアは、各企業の展示スペースになっていた。面白いのは、図書室があって、貸出ができること。しかも、かなり充実していて、これは利用の価値があった。
結局、工作教室を数回手伝っただけで、ここも辞めてしまった。館がボランティアの活用に熱心でなく、方針も定かではないようだった。県の職員が入れ替わりで赴任するので、施策の一貫性もないように見えた。要するに、お役所仕事ということに嫌気がさした。ただ、前述の図書室はその後も大いに利用させてもらった。図書室が目当てでも、入館料は取られる。その代わり、駐車料金は無料になるので、ちゃらと考えた。
未来館では
科学館ボランティア巡りの最後になった。理由は遠かったことだが、残るのは未来館しかなかった。ここは楽しかった。何より好きな時に出ればよいのが、気に入った。未来館でもボランティアの扱いは経緯があって、初期のボランティアは、大学教授レベルがごろごろいたらしい。その当時のボランティアが、解説のガイドブックまで作成していた。かなり高度な内容で、読むだけで参考になった。やはり、ある程度の知識の仕込みがないと、説明も薄っぺらになる。当然、詳細に説明するには時間も掛かるので、相手次第だが。ボランティアでここまでできるのかと思ったら、もはやそうではなかった。初期の優れたボランティアはその後、続々と辞めたそうで、館の方針転換が理由だったと聞いた。結局、そこそこのボランティアが活動する場になっていた。
シフトもなく、持ち場もなかったと記憶している。得意なところに行って、お客を待ち構えればよい。あるいは、勉強を兼ねて場を広げてもいい。ということで、最初は、原子力関連というか、放射線とか宇宙線の展示に張り付いた。館には大型の霧箱があって覗く人も多かったが、説明文が気に入らなかった。宇宙線のα線を検出すると書いてあったが、分厚いガラスを通してα線が入射するわけはない。間違いだと言い張ったが、結局、修正はされないままだった。実は、ときどき賑やかしでラドンを注入するスタッフがいた。主に宇宙からという本来の趣旨からすると疑問もあるが、来館者サービスと考えればおかしくはない。カミオカンデの実寸大模型もよく受け持った。これはなかなか迫力があって、入ってくる人は多い。これだけの大型展示物は未来館ならではと思う。その隣は、素粒子と加速器のブースで、かなり高度な内容だった。ここでも説明文に疑念があってスタッフとも意見を交換したが、署名入りなのでその先生の見解だということで、修正には至らなかった。実は、多くの先生方の協力を得ていて、研究室レベルの展示も多い。したがって、その段階での先生方の見解が説明文として掲示されている。かならずしも鵜呑みにはできないので、新しい知見を仕入れて補足する必要を感じた。持ち前の好奇心から、徐々にレパートリーを広げていき、最終的には全展示物の説明ができるまでになった。そのために説明パネルは徹底的に読み込む。と、あちこちに間違いがあることが分かってスタッフに指摘したが、間違いは認めても修正されることはなかった。説明ボードの更新でさえ予算が要るという理由で。
ボランティア室は広くて、昼食や休憩ができた。パソコンも置いてあって自由に使用でき勉強をすることもできた。本棚もあって、図書も並んでいて、理解や説明に役に立つ本も多かった。隣は、スタッフ共通の図書室になっていて、かなり高度な内容の本もあって大いに活用させてもらった。面白いのは、菓子類の自販機とコーヒーコーナーがあったこと。スタッフ向けだがボランティアも利用できた。かなり自由な雰囲気で居心地はよかった。同輩のボランティアもいて話しもできたし、スタッフとも顔を合わせるうちに、話しやすい雰囲気になっていた。展示物の動作不良を発見して、スタッフや技術スタッフに知らせるのも役目で、中にはなかなか調子が出ず、頻繁に調整する場合もあったが、それもボランティアが自主的にやっていた。技術スタッフと不具合の原因について議論することもあった。それも何か参加意識があって、満足感にもつながった。
最後のころに張り付いたのは、量子コンピューターの展示物だった。展示そのものは簡単なもので、量子の重ね合わせを実感させるもの。それを、入り口として量子コンピューターにつなげていくのは、なかなか難しい。訪れる人も少なく、ボランティアも敬遠して近づかない。そのうちに、説明のストーリーが出来てきた。まだ、ほとんど実績のない発展中の技術だったので、最新の情報を混ぜながら、将来の期待につなげることにした。来館者でとくに記憶に残っているのが2件ある。1件は会社員と思われる若い人で、ある程度知識があったらしい。質疑応答というか意見交換、さらには雑談も含めて、1時間も対応した。ある程度、分かったと思ってもらえないとお互いにむなしい。納得して帰ってくれた。もう1件は、SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)の一環で訪れた女子高校生の一団。ここで展示物の説明文を読み、説明を聞いて、後で自ら講師になって説明をするという実践教育をやっていた。見たところやんきーで、のっけからどこが一番簡単かと言われた。たまたま、居あわせたこともあって、量子コンピューターなら皆理解できないだろうから、何を言ってもばれないよ、というと、ここがいいと言い出した。びっくりしたが、一通り説明して勘所を伝えた。後で聞くと、立派に講師役が務められたらしい。見かけによらずできる子たちだったのかもしれない。そう言えば、同じような体験を、素粒子のコーナーで経験した。難しいにもかかわらず挑戦した子があって、言っていることが正しいかどうかを判定するために、わざわざ理科教師を呼んできて立ち会わせていた。これも立派に務めたらしい。
未来館を止めた理由は簡単で、2011年3月11日のこと、体調が悪いので、出るか出ないか迷ったが、出ないことにしたその日の午後、東日本大震災が起こった。家にいても今までに経験したことがない揺れで、すっかり肝を冷やした。その後も余震の恐れやら、計画停電やらが続いて、ボランティアどころではなかった。後で聞くと、出勤していて帰宅に大変苦労したボランティアもいたということ。家を空けるのがすっかり怖くなって、辞めてしまった。
その後は、家で「自作GM管」の開発に没頭した。今となると噴飯ものだが、当時はまじめになって放射線測定器を自作したい人たちの役に立てばという思いで、ココログの「科学館員の独り言」に連載した。より詳しい最近の成果については、放射線教育支援サイト「らでぃ」の実験集を参照されたい。
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(※id:TJOがid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)