科学館ボランティア考

情報館を止めた後で


2007年12月に情報館が閉館した後は、これまでに情報館で実施した実験教室やちょこっとサイエンスの技術継承のための活動記録を、財団の許可を得てブログやウエブで公開することになった。ブログは、ココログの「科学館員の独り言」としてアップし、同じ内容を開設したホームページにも掲載した。書き溜めていた原稿を、一気にアップしたので、ブログの連載は1か月ほどで終わった。


何か科学館での経験を生かしてできることはないかと考えて、科学館のボランティアをしてみようと思って、機会を待っていた。手始めに、上野の科学博物館はどうかと考えたが、調べてみると募集時期があって、それが間近に迫っていた。応募してみると、面接があった。面接担当が情報館を知っていたせいか、ボランティアに合格した。結構厳しいものだ。交通費は実費支給なので、応募する人も多いのだろう。活動は、主に館内の説明要員で、驚くことに科博のスタッフはほとんど説明には出ていない。日に何回か館内を回るだけのようだった。つまり、科博で説明を担当しているのは主にボランティアだった。館内に体験型の科学遊具の広場があって、そこでは主に説明と指導を担当するが、監視員の役目もあった。ボランティアは、出勤すると割り当てられているシフトで活動することになる。シフトは予め決められているだけに、休みを取りづらい。かなり窮屈な感じを受けた。ボランティアはそれなりの方々と見受けられ、長くボランティアを続けている方もいるようだった。シフトは機械的に割り当てられるので、得意でない場所の担当となることも多い。また、場所によって来館者が多いところと少ないところがあった。多いところでは結構忙しい。とくに、科学遊具の広場は賑わっていた。


ところが、ふと、ここは何をするところだろうかという疑問がわいてきた。科学分野ではあるが、博物館なので基本的には過去のものを展示する。科博は研究部門が別にあって、業績も優れている。しかし、どこも同じだが、監督官庁の予算削減や効果測定としての来館者数の縛りは厳しく、科博も例外ではなかった。そのプレッシャーはボランティアにも伝わってくる。ボランティアといえども勤勉が求められている感じがした。何となく堅苦しく、息苦しい。居場所として適切だろうかと考えているうちに、ここには「未来」という言葉がないということに気がついた。立派なパンフレットはあるが、開いてみると隅から隅まで見ても、「未来」という文字はなかった。結局、ここは何となく自分には合っていないのではと思って、早々に止めてしまった。未来志向が信条だったので。ただ、今になって考えると、初めての科学館ボランティアで、縛りの多いことに嫌気がさしたのかもしてない。ボランティアだから自由にできるかと思ったら、そうではなかったし、役割も期待したようなものではなかった。ボランティア志望者にはいろいろな経歴や能力を持った方々がいると思う。本来は自由意志による善意の参加なのだから、活動内容の希望ができ、選択ができることが望ましいが、画一的だった。そこまでの対応は難しいだろうとは思うが、もう少し幅があっても良いように思う。科博が悪いのではなく、あくまでも本人のわがままだった。


次はどこにするか


いろいろ考えても、家から1時間程度で通える国公立の科学館は4館しかない。科学博物館、日本未来科学館千葉市科学館、そして市内にある千葉県立現代産業技術館の4館。たまたま、千葉市科学館のボランティア募集が目に着いたので、応募した。面接と書類審査だけだった。ここは、交通費の実費ではなく、一律1000円が支給される。つまり、交通費でもよく、昼食費でもよく、はたまた、小遣いでもよい。ということで、近隣から徒歩や自転車で通う、小遣い目当ても少なからずいた。当然、ボランティアといってもレベルはばらばらで、女性も多かったが、ある程度は科学に関心があり、知識も持った方々だとは思う。


朝、ミーティングがあり、受け持ちのフロアが決まる。毎日数回の定時に、ごく小規模の工作イベントがあって、その受付と実施も活動の一つだった。指導者役はお互いに決めるので、回ってくることも多い。互選なので、断ることもできるが、積極的に立候補する人もいる。この活動だけがいわば義務で、そのほかの時間は自由に受け持ちフロアにいればよかった。この館は、学校連携がコンセプトなのか、学校で習うような原理・現象を多く展示物で再現している。実際、学校の団体が毎日のように見学に来ていた。体験型の展示物ばかりで、なかなかこれだけ多くの展示物を集めている科学館はほかにないように思う。自由な時間が多く、来館者が少ないときは暇を持て余すが、図書室などはないため暇をつぶせる場所がなかった。ときどき、併設のプラネタリウムの来場者の整理・誘導がある。入場時だけで、時間は決まっていた。もとより、客寄せの施設なのでいつも賑わっていた。ここでは、スタッフもフロアに出る機会が多く、ボランティアだけが目立つという訳でもなかった。当時、新しい市長が、設立のコンセプトとは異なる、大人の来館も増やすようにという方針を打ち出した。展示物そのものは、変えようもなく、特別展示として、夏休みなどに開催していたイベントを大人も意識したテーマに変えたりしていた。新宿の情報館は入場無料だったので、大人の利用も多かったが、有料の場合は余程魅力がないと難しい。その後どうなったかは知らない。


比較的自由なので、ここは長く通ったが、結局は辞めた。辞めた理由の一つはスタッフとケンカしたこと。あるとき、錯視をテーマにした小イベントで、スタッフの一人が、錯視を目の錯覚というのは間違いだ、と言った。厳密に言えばその通りで、錯視も脳の働きであって目ではない。しかし、書物も含めて、錯視は目の錯覚と言っているというと、それは間違っていると言ってのけた。その傲慢な態度に腹を立てて喧嘩になりそうになったが、スタッフの一人が静止して収まった。それ以来、会うのが気まずくなった。このスタッフだけはとくに高慢な態度が目に付いて、ボランティアを見下しているように見えた。結局、ここもボランティアは最低の仕事をさせられている、という虚しさが募った。辞めたもう一つの理由は、やはり長くいるボランティアが幅を利かせ、一種の階層化というか、ボランティア同士が楽しく活動するといった雰囲気を乱す人がいた。どこでもそうなのだろうとは思う。結局、ここも辞めてしまった。たまたま、家のリフォーム工事と重なったこともあって。


近場を覗いてみた


市内に県立の現代産業技術館がある。車で行けば20分程度。駐車場は有料だが、ボランティアになれば活動の際は無料になる。ただ、ボランティアの募集は見当たらなかった。そこで、突撃で来館して、ボランティア担当に直談判した。情報館の経歴を説明すると、ボランティアではもったいないと言われたが、スタッフの技術員はまた役割が違う。ボランティアは、適時開催される工作教室の補助指導員や併設するプラネタリウムの誘導・整理員だった。この館は、千葉県内の企業の協賛で、1階のフロアには多くの大型展示物が設置されていて、子供にも人気があった。2階のフロアは、各企業の展示スペースになっていた。面白いのは、図書室があって、貸出ができること。しかも、かなり充実していて、これは利用の価値があった。


結局、工作教室を数回手伝っただけで、ここも辞めてしまった。館がボランティアの活用に熱心でなく、方針も定かではないようだった。県の職員が入れ替わりで赴任するので、施策の一貫性もないように見えた。要するに、お役所仕事ということに嫌気がさした。ただ、前述の図書室はその後も大いに利用させてもらった。図書室が目当てでも、入館料は取られる。その代わり、駐車料金は無料になるので、ちゃらと考えた。


未来館では


科学館ボランティア巡りの最後になった。理由は遠かったことだが、残るのは未来館しかなかった。ここは楽しかった。何より好きな時に出ればよいのが、気に入った。未来館でもボランティアの扱いは経緯があって、初期のボランティアは、大学教授レベルがごろごろいたらしい。その当時のボランティアが、解説のガイドブックまで作成していた。かなり高度な内容で、読むだけで参考になった。やはり、ある程度の知識の仕込みがないと、説明も薄っぺらになる。当然、詳細に説明するには時間も掛かるので、相手次第だが。ボランティアでここまでできるのかと思ったら、もはやそうではなかった。初期の優れたボランティアはその後、続々と辞めたそうで、館の方針転換が理由だったと聞いた。結局、そこそこのボランティアが活動する場になっていた。


シフトもなく、持ち場もなかったと記憶している。得意なところに行って、お客を待ち構えればよい。あるいは、勉強を兼ねて場を広げてもいい。ということで、最初は、原子力関連というか、放射線とか宇宙線の展示に張り付いた。館には大型の霧箱があって覗く人も多かったが、説明文が気に入らなかった。宇宙線α線を検出すると書いてあったが、分厚いガラスを通してα線が入射するわけはない。間違いだと言い張ったが、結局、修正はされないままだった。実は、ときどき賑やかしでラドンを注入するスタッフがいた。主に宇宙からという本来の趣旨からすると疑問もあるが、来館者サービスと考えればおかしくはない。カミオカンデの実寸大模型もよく受け持った。これはなかなか迫力があって、入ってくる人は多い。これだけの大型展示物は未来館ならではと思う。その隣は、素粒子加速器のブースで、かなり高度な内容だった。ここでも説明文に疑念があってスタッフとも意見を交換したが、署名入りなのでその先生の見解だということで、修正には至らなかった。実は、多くの先生方の協力を得ていて、研究室レベルの展示も多い。したがって、その段階での先生方の見解が説明文として掲示されている。かならずしも鵜呑みにはできないので、新しい知見を仕入れて補足する必要を感じた。持ち前の好奇心から、徐々にレパートリーを広げていき、最終的には全展示物の説明ができるまでになった。そのために説明パネルは徹底的に読み込む。と、あちこちに間違いがあることが分かってスタッフに指摘したが、間違いは認めても修正されることはなかった。説明ボードの更新でさえ予算が要るという理由で。


ボランティア室は広くて、昼食や休憩ができた。パソコンも置いてあって自由に使用でき勉強をすることもできた。本棚もあって、図書も並んでいて、理解や説明に役に立つ本も多かった。隣は、スタッフ共通の図書室になっていて、かなり高度な内容の本もあって大いに活用させてもらった。面白いのは、菓子類の自販機とコーヒーコーナーがあったこと。スタッフ向けだがボランティアも利用できた。かなり自由な雰囲気で居心地はよかった。同輩のボランティアもいて話しもできたし、スタッフとも顔を合わせるうちに、話しやすい雰囲気になっていた。展示物の動作不良を発見して、スタッフや技術スタッフに知らせるのも役目で、中にはなかなか調子が出ず、頻繁に調整する場合もあったが、それもボランティアが自主的にやっていた。技術スタッフと不具合の原因について議論することもあった。それも何か参加意識があって、満足感にもつながった。


最後のころに張り付いたのは、量子コンピューターの展示物だった。展示そのものは簡単なもので、量子の重ね合わせを実感させるもの。それを、入り口として量子コンピューターにつなげていくのは、なかなか難しい。訪れる人も少なく、ボランティアも敬遠して近づかない。そのうちに、説明のストーリーが出来てきた。まだ、ほとんど実績のない発展中の技術だったので、最新の情報を混ぜながら、将来の期待につなげることにした。来館者でとくに記憶に残っているのが2件ある。1件は会社員と思われる若い人で、ある程度知識があったらしい。質疑応答というか意見交換、さらには雑談も含めて、1時間も対応した。ある程度、分かったと思ってもらえないとお互いにむなしい。納得して帰ってくれた。もう1件は、SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)の一環で訪れた女子高校生の一団。ここで展示物の説明文を読み、説明を聞いて、後で自ら講師になって説明をするという実践教育をやっていた。見たところやんきーで、のっけからどこが一番簡単かと言われた。たまたま、居あわせたこともあって、量子コンピューターなら皆理解できないだろうから、何を言ってもばれないよ、というと、ここがいいと言い出した。びっくりしたが、一通り説明して勘所を伝えた。後で聞くと、立派に講師役が務められたらしい。見かけによらずできる子たちだったのかもしれない。そう言えば、同じような体験を、素粒子のコーナーで経験した。難しいにもかかわらず挑戦した子があって、言っていることが正しいかどうかを判定するために、わざわざ理科教師を呼んできて立ち会わせていた。これも立派に務めたらしい。


未来館を止めた理由は簡単で、2011年3月11日のこと、体調が悪いので、出るか出ないか迷ったが、出ないことにしたその日の午後、東日本大震災が起こった。家にいても今までに経験したことがない揺れで、すっかり肝を冷やした。その後も余震の恐れやら、計画停電やらが続いて、ボランティアどころではなかった。後で聞くと、出勤していて帰宅に大変苦労したボランティアもいたということ。家を空けるのがすっかり怖くなって、辞めてしまった。


その後は、家で「自作GM管」の開発に没頭した。今となると噴飯ものだが、当時はまじめになって放射線測定器を自作したい人たちの役に立てばという思いで、ココログの「科学館員の独り言」に連載した。より詳しい最近の成果については、放射線教育支援サイト「らでぃ」の実験集を参照されたい。

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(※id:TJOid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)