教育用GM管開発を振り返って(1)

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自作GM管への興味


株式会社東芝に長くいたが、最後の10年ほど(2004年3月まで)は原子力広報担当部長という肩書で、昔のいわゆる「原子力PA」を担当していた。PAはPablic Acceptance の略語で、原子力発電所の見学会や原子力発電や放射線知識普及のための活動に従事した。


放射線知識普及は、まだ、世間の放射線に対する関心が極めて薄い状況で、放射線が身近にも存在することを測定器でデモすることだった。この「原子力PA」は電力業界の主導で進められていて、使用する測定器は「βちゃん」というGM計数管とサンプルのセットだった。簡易測定器とはいえ、そこそこ高額で、GM管だけでも8万円ほどした。定型的な使用体験と放射線に関する諸々の解説で進めていたが、それに飽き足らず、当時、秋月電子でキットとして市販していたGM計数管の自作に取り組み、その出力を利用してストロボランプの発光とパトカーの音源を刺激として、「これは宇宙線です」というデモを実践した。面白くもない、興味も薄い説明では誰もが眠くなる。その対策だった。これは結構受けた。


当然、電子工作や電子回路の知識と経験が必要で、元々の工作好きと中学時代は古い真空管ラジオを解体して組み立て直したりした経験が役に立ったと思う。それは、経理屋の父が子に望んだのか、半田ごてを買って鉱石ラジオを作らされたりしたのがエンジニアへの誘いだったのかもしれない。ただ、その後、トランジスタの時代になって、電流増幅という原理が理解できずに興味を無くして、すっかり忘れていた。秋月電子のキットが覚醒させてくれたのかもしれない。ただし、このキットは2000年頃にはGM管の製造が中止されたことで、販売が終わっていたらしい。その意味ではぎりぎり間に合ったということだった。


手作りGM管への興味


東芝(56歳以降はアイテル技術サービス)を60歳で退職後、縁があって当時の原子力文化振興財団(現在は原子力文化財団、以下、原文振)が科学技術庁(後は文部科学省)の委託を受けて運用していた未来科学技術情報館(以下、情報館。ただし、お台場の未来科学技術館が開館するまでは未来館と言っていた)という、新宿三井ビルにあった小さな科学館に技術相談員という肩書で再就職した。この情報館は、本来は東京において国の原子力行政の資料を閲覧できる施設としての位置づけで、実際、設置認可申請書類などが閲覧できたが、多分、集客のために科学館の体裁をとったのではないか、と思う。


ここでは、実験教室や、「ちょこっとサイエンス」という15分ほどのサイエンスショーの企画と実施(講師)を担当した。予算は少額だがかなり自由にやらせてもらった。また、新規の展示品の選定や仕様の提案なども受け持った。狭い館内だが、新宿駅に近く、買い物がてらによる親子もいて結構賑わっていた。一つの小道具が手作りの体験型小展示物で、風力発電模型とか、空中ゴマとか、ハノイの塔といった定番の小道具があって、大人も暇つぶしに利用していた。


いくつかの小展示物の製作も手掛けたが、その中に、「βちゃん」を常時展示するという企てをした。通常は、監視下の下で使ってもらうことはできるが、人が付いていないと盗まれたり、壊されたりする心配がある。「βちゃん」の基本的な使い方は、セットに付属している身近な放射線を出す物質として、湯の華、塩化カリウム花崗岩などを測って比べ、それらを鉄板で遮へいすれば計数が減ることを体験するものであった。まず、工夫したのはGM管を壊されないようにすること。GM管の端部は薄い雲母の膜なので、鉛筆ででもつつけば簡単に割れる。そこで、OHPシートをその前面に貼って簡単には割られないようにした。OHPシートの厚さ分は遮へい効果があるが、厳密な測定ではないので、良しとした。次に、「βちゃん」を手にもって操作するのが標準的だが、落とされると困るので、板に固定することにした。そうすると、線源の比較方法が問題になるが、円板に3個の線源を固定したターンテーブルを作って解決した。実際は、4分割で何もないところを用意している。それは、いわゆるバックグラウンドを図るためである。さらに、「βちゃん」はAC電源に接続して常時計数するようにした。これは、検出音を常時流すことで気に留めてもらうことを狙った策である。情報館とはいえ、目的は原子力利用の推進なので、放射線に興味を持ってもらうことも重要な役目である。入口に近いところにおいて、客引きにも役立ったと自賛している。


ここで、実験教室のテーマとして「手作りGM管」が取り上げられ、三門正吾先生が講師となって、いわゆる「大気圧空気GM管」と、その電源となる「摩擦起電器」の工作と実験が行われた。なかなかうまく行かない実験教室だったが、当時の広井館長から三門先生の論文を紹介されて、手作りGM管で実際に高校理科実験に使用されていることを知った。


元々興味があったことから、まずは論文にある手作りGM管のポンチ絵と計数の回路図を参考に、コピー品を作成することを考えた。手作りGM管は写真のフィルムケースを利用しており、ライターのガスを入れてからラップで蓋をする仕組み。回路図の方は、理解しにくい部分もあったが、代替トランジスタの選定や、ロジックICの動作原理などを勉強しつつ、製作してみたが、結局はうまく動作しなかった。


情報館に再就職したのは、縁あってと書いたが、アイテル技術サービスの時代に原子力広報とは別に、関連する模型などを企画・販売していた。その中で、改良型BWR(ABWR)の中央操作室の制御盤をパネルにして、原子炉の起動から臨界接近、臨界超過などをゲーム感覚でパソコンを使って体験できる大型展示物を情報館に納品していた。実は、原子炉の動作は専門家に任せたが、その他の部分はVisual Basic 6のプログラムを自ら勉強して、作り上げた。外部機器への入出力には、Windows API(Application Programing Interface)という機能を動かすプログラミングが必要になるが、試行錯誤しているうちにずいぶんと詳しくなった。


実は、東芝に入社した直後は、開発中だった重イオン注入装置のイオンの打ち込み深さをモンテカルロ・シミュレーションで解析するのが仕事だった。当時は、プログラムはFortranで作成していたが、プログラミングなるものの訓練にはなったのだろう。


最近はICT教育と称してプログラミング教育が進められているが、実は、パソコン内部で完結するプログラムは簡単だが、入出力を伴うプログラミングはかなり難しい。マニュアルはあるが、実際には実施例をネットで探してパクる方が早い。ただ、似た分野の情報が限られているので探すには苦労した。


福島第一原子力発電所の事故を契機に


2007年12月に情報館が閉館となり、無職となった。その後は、上野の科学博物館、お台場の未来科学技術館千葉市科学館市川市にある千葉県立現代産業科学館などのボランティアを手当たり次第に体験した。結局は、期待していたほどでなく、ボランティア活動に幻滅を感じていた。


2011年3月11日は、まだ、未来科学技術館にボランティアとして随時通勤していたが、たまたま体調が悪くて家にいた。事故後というか、事故の進行中も、原子力の知識があるばかりに不安を感じたり、人から放射線の影響について質問を受けても情報不足で満足に回答できないもどかしさを感じたりしていた。直後から始めた、東海第二発電所と東京都の放射線レベルの確認は毎朝の日課になっている。東京の放射線レベルもほとんど事故前の水準に近付いているが。


事故後、放射線測定器への関心が高まり、怪しげなネット情報が溢れていた。多くは旧ソ連製のGM管を手に入れて、計測回路を自作するケースが多かった。国内では、小型のGM管は製造されておらず、在庫も無かったので苦労したのであろう。


秋月電子GM計数管キットを組み立てた測定器と三門先生の高圧電源のコピーは元に残っていた。そこで、GM管が自作できれば、回路はどうにでもなると考えて、試作を始めたが、手掛かりが全く無かった。当然、いわゆる「大気圧空気GM管」なので、管の口径が小さいほど印加電圧が低くなる。まずは、外径15mm、内径13mmのアルミ管から始めてみた。これがGM管のカソードで、アノードはビニール被覆線の撚り線の細い銅線を取り出して、直線とか、半分の折り返しとか、を試してみた。放射線源は、蛍光灯のグローランプの芯を取り出して使用した。消滅ガスとして、ライターからガスをアルミ管の中に注ぐが、分量が分からない。結局、うまく行かないことが多く、たまにうまく行く程度だった。


nandemo-lab.cocolog-nifty.com

この辺のプロセスは、情報館の閉館を機に始めたブログ、Niftyココログにアップした「科学館員の独り言」が詳しい。2011年の5月から10月にかけて合計20回アップした。今でも残っているので、見ることはできる。


日本科学技術振興財団との縁


翌年の2月ごろ、情報館時代の同僚のつてで、日本科学技術振興財団(以下、北の丸)から照会があった。ブログを見て、誘ってくれたとのこと。当時、北の丸は、文部科学省が大量に購入した「はかるくん」というシンチレーション検出器を教育用に貸し出す業務の委託を受けていた。スタッフも原文振につながる人がいて、覚えてくれていたらしい。


実は、その前に「自作GM計数管」の可能性と概算見積もりにつて、原文振から問い合わせがあったりしたが、難しいと回答していた。まだ、確実に動くGM管が完成していなかったことが大きい。結局は、その後、何年もかけてその課題に取り組むことになったが。


www.radi-edu.jp

その後の、教育用放射線測定器の開発の経過については、時系列的に北の丸で運用している放射線教育支援サイト「らでぃ」のホーム>教材>実験集に、1テーマ2ページ程度でアップされている。


なぜ、GM計数管が開発目標とされたかは、従来の「はかるくん」では主な目的が空間線量を測ることであって、たとえば高校レベルの理科実験には物足りなさがある、ことにあった。主流だった「はかるくん」を使ったカリキュラムはほぼ完成されていたので、学校側では「はかるくん」を借り出せば放射線の授業ができる簡便さがあった。小学生でも理解できる内容である。逆に言えば、「はかるくん」はシンチレーション式検出器でγ線を測定し、空間線量として、μSv/hrで表示する。福島第一の事故後も、もっぱら話題になったのは空間線量なので、一時期の放射線検出器ブームでも、ほぼすべてがこのμSv/hr表示になっていた。本来、GM計数管ではエネルギー分析ができないのに、GM管方式でも無理やりこの表示にしていた。いい加減といえばいい加減であった。しかも、出回った放射線測定器の大部分は簡易測定器なので測定値自体もいいかげんなものであった。無いよりまし、ということだったのだろう。とくにγ線では遮へいの実験はできるが、プラスチック板では減衰がほとんどないので、遮へい体が鉛など重いものになる不便さがあった。また、「はかるくん」の表示は、7点移動平均という数値の変動を見かけの上で小さくする仕様だったので、実計数には6点1分を要した。それでないと、計数値と捉えても正しい値にはならない。


などなどの諸課題があって、GM計数管の方がいいのではないか、ということになったらしい。したがって、業務の主目的はGM計数管方式によるカリキュラムの確立であった。GM計数管は放射線を数える装置で、CPMなどの単位で表示する。つまり、この測定器の使用目的は、そこに放射性物質があるかどうか、どれくらいあるかである。何があるのかは分からない。よく、ガイガーカウンターといって、けたたましく警報音が鳴るところを見せるのが、GM計数管の典型である。GM計数管は主にβ線を計測するが、一般的なGM計数管ではわざわざγ線も図れるように工夫している。検出器を重い金属にしてγ線β線に変換して測定できるようにしているのだ。放射線管理の現場では、その方が便利なのだろう。


一方、教育目的では、できるだけβ線だけを検出して、β線に特化した実験をやりたい。つまり、γ線は邪魔になる。β線だけならば、遮へい実験はプラスチック板でも可能になり、アルミやステンレス鋼、鉛と組み合わせれば、遮へいの厚さ依存性だけでなく、遮へいの密度依存性(正しくは、電子密度依存性)についても学習できる。距離の実験もβ線の空気中での飛程がγ線よりは小さいので、短距離での実験が可能になる。実は、その後の展開で、半減期の測定もできるようになっている。いわゆる「大気圧空気GM管」は、簡単に減圧ができないための方便であるが、高い印加電圧さえ確保できれば、簡単に安価で製作できる特徴があって、自作にはもってこいの特徴がある。「大気圧空気GM管」は使用の都度、ライターガス(ブタンガス、一般的には液化石油ガス)を注入するので、構造はオープンになっている。GM管のいわゆる端窓は解放できるので、荷電粒子であるα線が計測できる。そこで、例えば、ランタン・マントルから抽出したラドンガス(220Rn、トロンとも言われる)を同時に注入すれば、半減期約57秒の計数ができて、半減期の実験もできることが特徴となった。


北の丸の最初の希望は、「βちゃん」のようなオールインワン・タイプのGM計数管だった。すでに、キットや重ねていたようで、それに載った感じだった。したがって、当初はオールインワンを目指したが、当然、市販品よりは安価でなければならず、できるかどうか皆目見当が付かなかった。要求が高いのは当然で、市販のGM管と同程度のものを作れないかということだった。そうなると、まずは市販GM管のコピーから始めないといけない。市販GM管を壊して内部構造をコピーすることを考えた。口径50mmクラスのいわゆるパンケーキ型GM管だが、アノードは平板の三重リングだった。そのコピーを外部に頼んだが、レーザーカッター程度では、表面が粗くて使い物にならない。研磨するとコストが上がる。結局、コピーは断念せざるを得なかった。他にも制約があって、1000V程度の低い印加電圧でGM管を作動させるには、減圧にする必要がある。真空に引いてから定量のガスを入れて封入する必要があるが、雲母膜などは作れるはずもなく、プラスチック・シートでは減圧に持たない。ガス封入にも真空に引けるグローブボックスが必要で、購入も検討したが結局は断念した。カソードをプラスチックで作って内面にメッキするアイディアもあったが、やはり難しい。そもそも、いろいろとプロセスが増えると結局高価なものになってしまう。それは、本来の目的とは違うということで、方針を転換した。


いわゆる「大気圧空気GM管」への挑戦


次に、「大気圧空気GM管」をベースにした、自作もできるGM計数管を目指すことになった。


「大気圧空気GM管」は1990年代に高校の先生方がいろいろと発案しているが、構造や動作条件がはっきりしなかった。さらに、数1000Vという高電圧を使用することへの警戒感から、できるだけ動作電圧を下げられないかというチャレンジも受けた。


そこで、基本に立ち返って、管径、アノード材質、カソード材質、アノード形状、ガス組成などを網羅的にパラメータとして実験することにした。とはいえ、入手できる材料も限られているので、原則として秋葉原やホームセンターで入手できる範囲に止めることにした。そうすれば、だれでも自作できるという考えで。ただし、ガス組成だけは、決め打ちでヘリウムを追加した。これも、入手できないことはないので、自作の障害にはならないと考えた。


結果は「らでぃ」に詳細を掲載してあるが、最大の収穫は「大気圧空気GM管」がうまく行かない原因がブタンガスの濃度にあったことがわかったことと、伝統的な二つ折りのアノードは印加電圧がアノードの線径にそれほど依存しないことが分かったことである。また、ヘリウムGM管は、概ね動作電圧が空気GM管よりも1000V程度低くなるが、それほど印加電圧の低減に寄与しないことが分かった。紙カソードも、金属カソードと遜色なく、しかも扱いやすいことが分かった。ただし、この段階では、それぞれ「何故?」という問いには答えられていない。その後、クリアケースを利用したGM管に進んだ段階で、オープンGM管の特徴を生かして、その謎を解きに行った。


管径の依存性からは、空気GM管でも6000Vていどの高圧電源が確保できれば、口径50mmクラスを動作させることができる目途がついて、その後の開発目標につながった。


クリアケースGM管の着想


学校の授業で使うとなると時間の制約があるので、できるだけ多くの計数ができる方が望ましい。装置の大きさはとりあえず置いて、口径50mmクラスを目標とした。これならば、市販のGM管と同程度の計数が期待できる。問題は容器で、「大気圧空気GM管」では紙カソードなので、容器に丸めて入れれば済む。プラスチック容器で適当なものがないか探したが、実は、すでに購入してあったプラスチック容器を見つけた。ネクタイなどを入れて販売したり、展示したりするクリアケースで、ちょうど口径50mm、高さ50mmの容器だった。プラスチックの蓋があるので、そのまま端窓にもできる。ラップフィルムをいちいち被せて輪ゴムで止めるよりは簡単になると考えた。プラスチックの厚さは0.3mmほどなので、遮へいによる減衰はあるが、まずはためしてみようと。


この簡易型GM管はほかにもいろいろ有利な特徴を有する。蓋を被せるだけの構造なので、内部を自由に変えることができる。つまり、アノードやカソードなどの構造物をパラメータとした実験に適している。オープンなので、ガスの入れ替えも自由にできる。これらは、学校における放射線教育カリキュラムとは別に、「大気圧空気GM管」の個々の特性を明らかにする実験に資する。この展開や成果も「らでぃ」に詳しく掲載した。


(※id:TJOid:apgmmanから受領したWord原稿を元に再構成、代理投稿したものです)